バリ島で専業主婦になり、いつの間にか2年が経っていた。
日々のストレスと言えばコムスメンの学校の送り迎え位なもので、(←まぁこれが結構大変だったりもするのだが…)
日本で働く旦那からの仕送りに頼る今の"別居生活"にも、大いに慣れ…
一方の旦那も日本で大変&淋しい思いをしているのかと思えば、その様でも無く…
割とお互いが悠々自適な生活を送っていた所だった。
のだが、、
私が人生で一番苦しんだ日々が到来してしまった、、
まさかの、7年ブリのつわりは突然始まった。
トマトなら食べれたとか…
夕方仕事から帰るとソファーに倒れこんでいたとか…
ご飯の炊けるにおいがダメだったとか…
世の中のつわり初心者ママ達を否定するつもりは無いけれど、マジで”そんなんでつわり語るなよレベル”ですわ。
そういうのはつわり上級者の私からすると”ほんの序の口レベル”で、本気つわりの前後2週間にある”おまけちゃん”みたいなもんで、私の場合は今回も見事にまた”地獄レベル”でしたわ。
「私はつわり無かったなぁ」とか、「吐くほどじゃ無かったけど」とか、そのような体験談を語る人達はこの時ばかりは敵に分類され、「私もつわりで死にたいと思った」「10キロ痩せた」位の話にしか同調出来なかった…。
その後、間もなく学校の送り迎えどころか、ご飯の調達や起き上がる事すらも辛くなり、コムスメンは文句も言わずにロールパンばかりかじっていた。
そして結局、寝返りをしただけでも吐くレベルになり、日本で出稼ぎ中の旦那を呼ぶ事にした。
その頃…
洗濯物はまさに山と呼べる高さに達しいて、
ゴミやホコリが家中に散乱…
自分が放つ異臭を感知できる位になったというのに、どうしてもシャワーにはむかえない。
かろうじてベッドでたらみのゼリーやらカット済みマンゴーやら食べては、ゴミをそのまま枕元に置いていたせいか、遂にゴキブリが私の背中を這って通過する程の環境になってしまっていた。
現場にいた旦那とコムスメンは、その時は流石に騒いでいたのだけれど、私はそういう事にいちいち反応する余裕ももはやなく、部屋の一点をただじーーーっと見つめながら、静かに時が過ぎるのを待っていた…。
そんな中、テレビで見るゴミ屋敷なるものがふと頭をよぎった、、
そこに登場する”ゴミ屋敷の住人”達…
恐らく彼らは散らかっているのが平気な訳じゃなくて、何とかしたいと思いながらも目の前の山に立ち向かう気力が無いのだ。
そして、誰かにヘルプサインを出す気力すらも、残ってはいないのだろう。
色々な状況やトラウマが引き金となり、無気力による悪循環に陥っているのだと思う…。
仕事でゴミ屋敷を掃除したりもする旦那、彼の登場でこの汚部屋が片付くことを期待していた。
しかしあろうことか、何と旦那は我が家のゴミの山と洗濯物の山の間の谷間で、平然と寝転びながらYou Tubeを見続けていた。
彼は、このゴミの山を「まだ山では無い」と言い、
汚くなった部屋を「どこが汚いのか分からない」と言い、
私の放つ異臭にもどうやら気がついていない様子…
そういえば、7年前のつわりの時には、悪阻による入院生活の真っ最中に滞在ビザが切れ日本に脱出していたし、結婚後もここまで私が掃除を放棄した事は初めてだっから、旦那とこんなにも感覚が違うという事にさえ気付いていなかった。
ただ、この頃つわりのピークを迎えていた私は全ての事に対して無気力だったので、旦那に対して”怒り”という感情すらも湧いてはこなかった。
異臭といえば、私の嗅覚は全ての物から地獄の匂いを感じ始めていて、においで選んだシャンプーも、においで選んだ洗剤も、臭くなった枕も全てを封印したのだけれど、確か7年前は10m先から犬が近付いて来るのも分かる程に、今回以上のひどい”においつわり”だった事を思い出した。
旦那が到着するまでの間、コムスメンの送り迎えを頼んだ”おじさん”が朝家にお迎えに来るたびに酷く吐いてしまい、何度も病院に連れて行かれそうになった。
だが、痛い点滴の為に1jt(約一万円)も払ってたまるかと、意地でも断り続ける事に成功した。
そんな感じで、”あらゆるにおい”にやられていた最中、旦那から私への日本土産は、何故か”におい”を代表する香水だった…。
よりによって香水??と思ったけれど、口には出さないでいた。
ところで、生まれて初めて男性からコスメ貰ったかもしれない…。
これを買った時、果たして私用だったのかどうかは謎ですけどね、まぁ良いけども…。
女の子へのバリ土産にコスメを選ぶ男子は遊び人なのか!! BALI
で、旦那到着から一週間後にバリに遊びにやって来た義理の妹、
オーストラリアに嫁いだ彼女からのお土産は、何とBODY SHOPのギフトセットでした。
何でこのタイミングで…??。
さすがは兄弟だなと思いましたが、どちらのお土産にもその時点で出せる最高の作り笑顔でお礼を言いました。
その数週間後…つわりは落ち着くどころか、何と吐血に至った。
今回ばかりは、旦那が来てくれて良かったなと思った。
血が混ざっている感じではなく、まさに血がドロッと流れて、鉄の味を感じたままベッドに倒れこんだ。
その後、吐血で思いつくあらゆる病気が頭をよぎり、恐怖を感じ始め、だんだんと手足がしびれ始めた。
この感じ…数年前の思い出が蘇った。
スンバ島に住んでいた時、原因不明の腹痛で倒れた時にマラリアだと宣告されたあの時も、こんな感じで手足がしびれたのだ。
当時、マラリアに対して無知であるが故に極度の恐怖を感じていた私…。
その病に自分がかかってしまったと思い込んだことで混乱し→過呼吸気味になり→手足がしびれて筋肉が固まり始めたあの症状は、マラリアの始まりなんかではなく、恐怖から来るパニック発作だったという事が後から分かった。
だから、今回は手足が痺れつつも冷静になり、吸う呼吸よりも吐く呼吸を多くする事で次第に落ち着いた。
スンバ島にもブラックマジック?!【Part1】恐怖のローカル病院 @スンバ島
次の日…吐血はおそらく吐き過ぎによる食道炎だと診断された。
しかも割とさらっと言われたので、つわり大国インドネシアではよくある事なんだろうと思う。
今回は7年前のつわり地獄よりはだいぶんマシだったと思うし、点滴も3回のみで済んだのだけれど、
体重は5kgほど落ちていた。
まだ時々嘔吐は続くものの、ようやく食事をとれ始めた今日この頃、やっとBODY SHOPの出番もやって来た。
そして旦那をバリに呼び戻してから、既に3か月が経過していた…。
そんな旦那は「早く日本に帰りたい」と日々言い続けている。
出番は”子供の送り迎えのみ”という南国ゆるゆる生活に日々にうんざりしているのだそうだ。
パリッとした日本の環境の中で、家を壊したり、ゴミ屋敷のゴミを淡々と片付けたりしながら、いい加減に貯金をしたいのだそうだ。
それだったら別にゴミと洗濯物の谷間でだらだらと生活しなくても、シャシャっと家の大掃除なんかをしてくれても良いのに…。
今回の旦那の登場は、我が家のゴミの山を撤去するまでには至らなかったけれど、何かと活躍してくれたと思う。
私の3ヶ月以上に続いた悪夢の日々も終盤、今は”メルカリ”でチャチャっとDiorの香水の価格相場を調べたりも出来る位に回復しています。
南の島ですが…”パニック発作”になりました。つわり記録 BALI

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