毎度ながらのお久しぶりです。
基本引きこもりがちな私ですが、ここ最近は毎日のように友人に会ったり、なかなか充実した毎日を送っています。
送別会をしてもらったり本当に嬉しいのですが、ほんの数か月後にUターン帰国してたらごめんなさい…。
この間の淡路島地震のせいか、ちょっとした風の音(ガタっとか)だけでビビリな私は常にドキドキしながら過ごしています。
揺れの瞬間に、最近TVで執拗に繰り返される、東海・南海地震や首都直下型までもが頭をよぎりましたが、震源地は意外と近かったです。
因みに、みんなの言うような"緊急地震速報"も鳴らなかったし"お知らせメール"も届きませんでした。
あの揺れ以来、私の中に眠っていたトラウマ野郎はすっかり目を覚ましてしまいました…。
あの時間帯といい、寒さといい、あの電車に乗った様な縦揺れといい、そう、全てがあの阪神淡路大震災を連想させました。
縦揺れの後、ふるいにかけられた様な横揺れがやって来るのかと思い構えましたが、幸いおさまってくれて良かったです。
思えば娘が生まれて初めて感じた身の危険でした!!!
私が守らなければならないんだなと、改めて思いました。
大きな揺れに気がついた数秒後には、私は娘を抱えてベランダに飛び出していました。
突然起こされ、しかも外に出された娘はかなり不機嫌そうな顔をして、また私の腕の中で眠ってしまいましたが、揺れがおさまってからもしばらく私の震えはおさまりませんでした。
思い起こせばかれこれ18年前のあの日も、母は私を守ろうと必死でした。
パニックになった母の行動は地震以上に怖かったですが…。
重たい母が私の上に乗っかったまま、ふるいにかけられた様に布団の上でを転がっているあの状況は悲惨だったけれど、断層の方向と同じく東方面の被害は知っての通り深刻で、震源地からわずか十数キロしか離れていない私達の住む町は、そこまで大きな被害を受けませんでした。
けれどテレビだけではなく実際に目で見た被災地はやはり想像以上の世界で、心のダメージはもう消えないと思います。
こんな思いを東北の人達はし続けていたのでしょうか?
もしかしてこの程度の揺れではもう動じることも無くなっているのでしょうか?
いくら情報が豊富にあったとしても、実際に我が身に起こらない事を想像するのは難しい。
今年の花見は親子4代(娘・私・母・祖母)で行って来ました。
87歳だけど、写真のチェックはもっぱら”自分の顔”からです(笑)
因みに右からの撮影はNGらしいですっ。
よくシャレたばぁさんと言われます♪♪
久々の地震以来、ビビっている。

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