突然の本帰国から1年半…バリ島に帰りたくてブルーだった日々

お久しぶりです。
コロナ以降更新が止まっていましたが、何とかコロナの後遺症も落ち着いて来ました。
ただ髪の毛が抜け続けている様な気はしますが、年のせいもあるが、一日中掃除機をかけまくり対処しています。
若干神経質な私ですが、20代の頃はどちらかというと汚部屋の住人でしたので、今部屋が片付かなくてお悩みの皆様ご安心を…。
何の話や…。
 
本題ですが、
日本で暮らす旦那が突然倒れ、バリ島に住んでいた私たち(私+娘+息子)が帰国を余儀なくされてから、はや1年半が経っていました。
帰国直後はバリ島に残してきたモノ達(特に思い出)に囚われる日々が続き、それに入退院を繰り返す旦那の今後への不安、自分たちのこれからの不安、色々重なって憂鬱な日々を過ごしていましたが、最近になってようやく”日本が舞台の夢”を見ました。
そうなんです、帰国してから1年以上、私が寝ている時に見る夢の舞台はすべてがバリ島だったんです。
まぁ夢は起きた時には忘れていたりもするのですが、覚えている夢の100%は南国でした。
 
 
ビーチで寝転ぶ自分の夢や…
パサール(市場)に買い物に行く夢やら…
透き通る波に乗る夢…
それに、薄暗いチケット屋さんで「私の持っている日本行きの航空券を何とか1週間延ばしてくれないか」と懇願するリアルな夢…
そのチケット屋さんの胡散臭そうなバイトの男子は、奥に座っているボスにその件を相談すると、
更に胡散臭そうなボスは「チップを上乗せしろ」とバイトの子につぶやいていた。
しぶしぶ財布からもう50万ルピア(約5千円)を手探りに数える私、チップとしては決して安くはない…。
そこでようやく目が覚めた。
薄暗いチケット売り場よりは実家の寝室は明るかったが、また”バリに帰りたい…”と思ってしまう。
 
 
つわりにの時にSNSに流れてくるご飯の写真が耐え切れなかった時と同様、
やはりInstaに流れてくる南国の写真が切なかった。
私もここにいたハズなのに…
そんな夢を見た日の朝はどんよりした気分だったけれど、昼間は何とか普通に過ごす事が出来た。
 
ある日、旦那を病院へ送り、待ち時間に市の施設であるボーネルンド(子供の遊び場)&児童館に、3歳児を連れて行ってみた。
辻堂だと確か平日でも1500円/h 程だった気がするけれど、子育て天国明石市では何とタダ/h だった。
入れ替え制で1時間ちょっとの利用が出来る。
その待ち時間に、隣の児童館の方で遊ばせようと中に入った所、
息子は本の置いてあるコーナーに一直線で走って行った。
 
普段なら、滑り台や車のオモチャへ向かって突進して行くハズなのに、どうしたんやろう…
後を追いかけてみると、息子は大好きな"ノンタン"の本を手にとって嬉しそうにしていた。
「ママこれ読んで」
1ページづつめくり、ゆっくりと声に出して読んではみたものの、もう私の涙腺は限界に達していた。
ノンタンの本は、バリ島でまだ娘が小さい頃に、私の母が日本から送ってくれた本で、
息子が生まれてバリ島に戻ってからは、ほぼ毎日ノンタンの本を読みながら寝かしつけていたのだ。
”あかん、もう無理や”
 
 
しかし、児童館で息子を連れて泣いている母…
スタッフさんにもしバレたら、子育てで悩んでいる母だと勘違いされてしまう。
私はただバリ島が恋しくて泣いているだけなのに…
このままでは身の上相談をする羽目になってしまうと思い、必死でこらえた。
後になって思うと、ノンタンの本で号泣するとは、かなり精神的にやられていたと思う。
 
ただ、スンバ島で過ごした馬小屋で泣いた日々も、後になれば笑い話へと変わったし、
辛い時の経験の方が、後で振り返ると良い思い出になっていたりもするのは経験済み。
だから乗り越えよう、そう思ってWebのスクールへ半年間通った。
慣れないアルファベットだらけの画面は、南国を忘れさせてくれたりもしたし、
その場所で出会った全員が年下というクラスの仲間も、刺激を与えてくれた。
 
そして、予定外の帰国から1年たった今年の4月、私は地元の関西を離れ湘南へ移住した。
また新しい刺激が始まった。
幸い、海から徒歩3分という好立地で築50年越えの物件を借りる事が出来た。
海辺の暮らしは始まったが、砂が黒い事が気になった。
そして波は割と無い…。
けれど、海へ散歩に行き水平線を眺めていると、心が晴れる。
 
 
そして、私はこの場所にバリ島との意外な共通点を発見した。
この場所も、行き当たりばったりではなく、この場所を選んで住んでいる人が大半だという事に気が付いた。
地元の人と、ここが好きで移住してきた人たち…
それが、バリ島に住むバリ人と、バリ島が好きで移住して来た外国人も含む島民以外の人たち…
それと似ている。
 
自ら選んで住んでいる人たちのエネルギーが集まり、
それがバリ島にいた時と似たような心地良さを作ってくれている様な気がした。
 
 
日本に帰国して1年半、
そして湘南に移住して半年間、
この場所で生きて行こうと、そして南国を思い出して泣く事はそろそろ辞めようと決意した。
するとようやく、私の見る夢の舞台が日本にかわったのだ!!
 
それは成田空港でバリ島行きのチケットを探すという、まだふっきれてはいない感じの夢でもあったが、
とにかく、夢の舞台がバリ島では無くなったという事が、私の中で一歩前進したような気がした。
 
 
 
 

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