最後に書いた記事が2019年の9月、という事で「3年間放置したBLOG(安いが有料)」等の整理をええ加減しようと思い立ったのが数週間前。
過去の記事をランダムに開け、そこからは過去の自分の様子を覗いてみる。
サーフィンが好きでバリに移住した20代半ば→
結婚後しばらく過ごした日本での出来事→
秘境スンバ島での起業と挫折→
バリ島での仕事復帰と子育ての事→
別居しワンオペ育児だった日々→
どの部分を見ても過去の自分、なかなかぶっ飛んでいるではないかー−−!!
特にスンバ島で過ごした数か月の記事には、「お前正気か?」と思える節々もあって、客観的に今の自分と見比べてホッとしてみたり・ちょっと淋しい気もしたり、あぁこれが歳をとるという事なのかとしみじみと感じました。
ところで2022年現在、私たちは家族で湘南に住んでいます。
なぜ湘南?と聞かれたりもしますが、
色々あって、ほんと色々あって、この場所に落ち着きました。
いや、落ち着こうとはしていますが、現状必死にもがいている感じです。
あの日まではインドネシアに一生住み続けるつもりだったし、
日本で出稼ぎをしていた旦那もいずれはインドネシアで生活をしたいと言っていたし、
日本に帰るという選択肢はありませんでした。
よく周りの人からは、インドネシア人の旦那は外国(日本)で一人働いて、
私は外国(バリ島)で一人育児をし、
「大変そうやな」と言われたりもしましたが、
いやいやいや…
少なくとも私にとってはバリ島での生活は控えめに言っても最高っ!!でした
ですが、私たち家族に転機は突然やって来ました。
体力だけが取り柄だと思っていた旦那が、何と日本で突然倒れてしまったのです…
忘れもしないあの日、知らない番号からの電話が鳴り、旦那が突然倒れ救急搬送されたと聞きました。
人の死というものを何度も見ているであろうジャワ人の友人によると、「もう危ないかもしれない」と…。
その他の会話はよく覚えていないけれど、頭が真っ白になった事だけは覚えています。
実はその救急搬送の一週間前に頭痛でクリニックを受診し、そこから大学病院を紹介され、とんとん拍子で検査が行われ、何とステージ5「末期腎不全」だと診断されていたのですが、絶望感に襲われてはたものの、あんなに元気だったし何かの間違いでは無いかという期待もありました。
ですがその病名を突き付けられた次の日、仕事中に動かなくなってしまったトラックを後ろから押したところ、血圧が上昇して倒れてしまったのだそうです。
バリでその連絡を聞いた後は何も考える余裕も無く、家も車も何もかもをバリ島へ残したまま、ただPCRの紙とチケットを持って飛行機に飛び乗った様な感じでした。
私が初めてバリに移住してから12年の時が経っていました。
これまでの思い出を振り返って空港で泣く暇すらも無かったのはせめてもの救いでしたが、こんな形でバリを離れる事になるとは思っておらず、旦那に起こった出来事も信じられませんでした。
そして、スーツケース二つと子供二人を連れて、ジャカルタ経由で必死に日本にたどり着いたあの日から、もう一年が経っていました。
日本の素晴らしい医療のおかげで、旦那は何とか生きながらえ、IgA腎症という難病由来の末期の腎不全だった事も判明し、今では週に3回の透析治療を行っています。
帰国後のしばらくは私の実家に家族でお世話になりながら、旦那は透析導入を行ったりしていましたが、体調も落ち着いて来た為に半年前に横浜に戻り、起業する道を選びました。
そして新学期の4月を迎え、私たち三人(私・娘・息子)も神奈川へ転居する事に、やはりバリ島暮らしの日常でもあった海辺の生活が忘れられず、横浜から一番アクセスの良い湘南に移住する事に決めました。
帰国した直後はドクターに「数値的には生きているのが不思議です」と言われた旦那でしたが、今は元気に朝からサーフィンへ出かけ、そのまま仕事をし、夜間透析をしながら生きています。
何なら私の方が、腰痛が悪化したり、コロナに感染したり、帰国ブルーで涙が出たりしていますが、
自分に与えられた人生を、出来る限りポジティブに捉え、生きていきたいなと思っています。
ところで、3年間放置したBLOGは復活するのか?!という今回のテーマ、
自身のブログで検証してみたいと思いますので、たまに覗いて貰えるとうれしいです。
突然ですがBLOG再開しても良いですか? 突然の本帰国、あれから一年

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