ハーフボード漂流記…あの日から5年。 BALI

ご無沙汰しています、お元気ですか?!
洪水に続き、今度は噴火…本当に自然の脅威を感じてしまいます。
不明の方が一人でも多く助かる事を祈っています。
インドネシアもおそらく日本と同じくらいに災害の多い地域です。
自然の恩恵を有り難く思う一方、それ以上に自然の厳しさも感じています。
ところで、ちょうど5年前のとある日の事なんですが…私の人生最大にやらかしてしまった出来事がありました。
サーフィン中に板が折れた後そのままカレントに流され、何と2時間半もの間沖を漂流した苦い記憶があるのです。
詳しくはこちら↓
ハーフボード 漂流記(?!)
写真の右から左に流された。
海沿いには道路が無いので、”あの場所”を陸から探すことは困難だと、これも先延ばしにして来た事の一つでした。
ですがちょうど5年前という事もあり、あの時無事上陸した小さな漁村を探しに行く事にしました。
そして薄れた感覚でしたがバイクで数時間探した挙げ句、何とかその場所であろう場所に辿り着き、
改めてあの時見たのと同じ真っ青な海を見ながら、当時の事を少し振り返りました。
崖の下に見えるのが小さな漁村
あの日流されながら色々と考えた中の一つに”前日出会ったインドネシア人”の事もありました。
海に入る直前も、「今日何処で入るの?!」とか、よく覚えていませんが電話で少し会話していました。
もし私が生きて還れなかったとしたら、あの人は私が流された事をいつかこの場所にサーフィンしに来た時にワルンのおばちゃん達から聞いて、知り合いレベル(しかも前日からの)なのでそんなに悲しむ事も無く、だけどビックリもするのだろう…とかも少しだけ考えました。
村までは徒歩15分以上のハードな道のりです。
それに、右にこけるとヤバイです。
そして2時間の漂流から無事に戻れ、次に再開した初めてのデートの時に、彼も同じ時間に別の場所で板を真っ二つに折っていたという事を聞き、これは”運命なのかもしれない”と思った当時の私は、無謀な波に突っ込んだ事以上に馬鹿だったとつくづく思います…。
けれどあの時に還って来れたおかげで私はまたここに戻れ、今はもう一つの命も誕生しています。
「ここは昔お母さんが死ななかった場所なんだよ」と、もう少し娘が大きくなったら教えてあげたいなと思います。
本当に生きて戻れて良かったと思います。
そして改めて訪れたこの”上陸ポイント”は、もし死ぬ場所を選べるのならここにしたいと思える位に綺麗な場所でした。
道が無く、漁村へのアクセスは船らしい。
残念ながら村人はいまは誰もいませんでしたが、当時は30人ほどの大人達と子供達に出会いました。
そして帰り道、ハードな上り坂は暑すぎて倒れそうになりながらも必死で歩きました。
今度は左にこけるとヤバイです…。
 
今回のコムスメンを連れての2週間の帰国はバタバタで、一年のうちで一番忙しかった様な気がします。
仕事もこの位忙しくなればよいんですけど…。
家族や地元の友達とは会えましたが、予定していた大阪も、出来れば行きたかった和歌山にも行けず、
関東なんて全く無理な感じでした。
子連れでの2週間の帰省は、今後無しなプランに降格です。

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