1か月で2回目のコロナ陽性になった人、いませんか?

湘南移住生活

なんと、タイトル通りですが、1か月で2度もコロナに感染(もしくは再燃)してしまいました。
どなたかのお役に立てればと…残しておきます。

振り返る事、7月中旬、
エアコンでやられた程度の喉の違和感と咳が出始める。
この時3歳息子もちょうど咳をし始めていたので、2人で耳鼻科に行き私のみ鼻からタイプの抗原検査をするも陰性でした。
この時息子にも鼻ブスをしたとすると、その後1〜2時間は不機嫌と付き合う羽目になるのは容易に想像出来たので、やめておきました。
「あぁー何かよう分からんけど陰性で良かったわぁ…」と、この時は1か月後の悪夢など想像もしてませんでした。

それから約2週間後の8月上旬、
相変わらず深夜に咳が続いていた上、咳で腰痛が悪化し始めました。
数日後には実家への帰省も控えていたので、ここで呼吸器内科を受診。
症状を話した感じでは「喘息でしょう」と言われたけれど、病院の方針で診察前に抗原検査をしなければならないとの事…
また鼻からタイプの検査で今度は何と、まさかの陽性が出てしまいました。

恐る恐るドクターに聞くと、抗原検査で陽性の場合「ここ数日内に感染した可能性が高いでしょう」との事。
(まだ)良かった。2週間前から私が無症状感染者だったのだとしたら、恐らく家族以外にも感染させてしまっているハズ…
ホッとしたのも束の間、そこから私のコロナ感染者としての生活が始まった。
だがこの時には、時間差で家族が次々に感染し、約1ヶ月間も家から出られない事態になるとは想像もしていなかった。

一番の不安は、遊び盛りの3歳児と10歳児を家に10日間も閉じ込めなけれなばいけない事だった。
私自身も大して症状もなく、いったい何をして過ごせばいいのだろうか…

幸い週3で在宅勤務をしているので、買い物以外は特に支障もなく、
一方の子供たちは、特に文句も言わずに引きこもっていた。
むしろ2人とも自宅隔離を楽しそうにしていて、流石”引きこもりの血”を引き継いでいるなと実感した。

10日間の隔離を終え、ようやく外に出て向かった先は徒歩圏内の海だった。
久々の太陽、風、雲、外の世界ってなんて素晴らしいんだろう!
それに焼き肉って何故こんなに美味しいんだろう!!

しかし2日後…あろうことか、旦那が床に転がり始めた。
どこかで見たことがある光景…そうだ、あの時だ、旦那が急性アル中で倒れたあの日。
詳しくは↓

娘のハレ舞台の日に、急性アル中で倒れた旦那… BALI

ところで、旦那は私と出会ってから10年の間に3度も死にかけている。
7年近く別居していたのに3度も死にかけた所を見たのだから、恐らく私の知らないのも合わせるともっと多いだろうと思う…
色々と思い出すうちに、あの日の怒りがまた沸々と再燃して来そうになったが、今や旦那は基礎疾患持ちの重病人…
そもそも、何度も死にかけている背景には、もともとこの基礎疾患が隠れていたのが理由かもしれない。

何はともあれ、旦那を病院のPCRに連れて行こうとしたら、何とうちの駐車場にはその時点では中型トラックしかなかった。
結局旦那の運転で病院に辿りついたが、発熱外来の待合(屋外駐車場の1階)には”ただいま120分待ち”の看板が!!
どこかで見たことがある、そう確か、USJの乗り物の入り口とかにある看板だ…
確かジュラシックパークも120分待ちで諦めたが、この具合の悪そうな旦那は120分待ちにはおそらく耐えられないだろう。

駐車場1階に臨時で設置された屋外の待合には、具合が悪くてうずくまる人や寝そべっている人もいて、まさにカオスと呼べるレベル、、
久々に私はインドネシアの病院を思い出してしまった。

スンバ島にもブラックマジック?!【Part1】恐怖のローカル病院 スンバ島移住生活

がしかし、列の最後尾に並び始めた旦那…そこで何とまたしてもびっくりする出来事が起こった。
何と、列の最後尾に並んでいる私たちの所へ、謎のパンフレットを持った金髪でちょっと軽い雰囲気のお兄さんがやって来た。
「あのー、今日も300人くらいの人が診察に来ると思うんですよぉー、待つのキツイと思うんでぇー、病院とは別のテントでなら今すぐPCR検査出来ますよ♪」と。えっ、なにその軽いノリ!病院の敷地内ですけど…

結果が当日分かるやつなら15000円
次の日なら10000円
翌々日のなら5000円
「唾液で簡単に検査出来ますよーっ」
と、ノリもまるでインドネシアだ。

結局、そんな甘い誘惑に負け、今すぐ出来ちゃうPCRをお願いする事にした。
娘と息子も念のため検査しておきたかったので、旦那は10000円のコースで、子供たちがそれぞれ5000円のコースで無事PCRを終えた。
それでもバリから日本へ帰国した時のPCRよりは、だいぶん安かった。

そして帰宅後…結局その時のPCRの結果を待たずして、旦那の血圧は200以上にまで急上昇し、救急車を呼ばせて頂く事にした…
搬送先がなかなか見つからないとの事だったが、ようやく受け入れ先が見つかった時に救命士さんが「腎不全で透析されてる方で、心不全の疑い」と搬送予定先の病院に告げていた。

確かに、心電図は不規則な動きをしていた。
その聞きなれない単語を聞き、過去に3度も蘇った旦那も今度こそが最期なのかと思うと、色々な思い出が頭をよぎって泣けて来た。
だが2人の子供も寝ているし、夜に子供たちを残して出るわけにも行かず、
私は一度乗った救急車から降りて子供たちと家に残ることにした。

寝ながら待つ事数時間、深夜の2時にまたしても救急車で帰宅した旦那はコロナ陽性と診断されたとの事だった。
そしてあろうことか、その次の日の夕方にはまた普通の人へと戻っていた。

そんな、図太い旦那が復活した翌日、2週間前にコロナ感染済みだったはずの私も何故か高熱が出始めた…

コロナが再燃したのか、再感染なのか、抗原検査も結局出来ないままだったので詳細は分からないままだったが、2度目の感染(もしくは再燃)だったのに症状は前回よりも酷く、とにかく辛かった事しか思い出せない。
だが、今度は私がうなっている真横で、一昨日救急搬送されたハズの旦那が肉を焼いて食べていたのだけはよく覚えている。
つわりの時に私の真横でバビグリン(豚の丸焼き)を食べ始めた時と同じくらいに腹が立った。

そしてまた、数日後には娘が感染…お盆で病院にも行けなかったが、高熱と頭痛でかなりうなされていて可哀想だった。
娘に関しても、10日日の隔離がやっと明けて外出した直後に、家の目の前で目眩を起こして倒れ、そのまま救急搬送される事となった。

1ヶ月で2度もコロナに感染してしまい、
1ヵ月で2度も付き添いで救急車を呼んでしまった。
その度に対応して下さった医療従事者の方には、本当に感謝しかない。
そして、旦那が救急車に乗った時の対応よりも、娘が乗せて貰った時の対応の方が優しく丁寧に接してくれ、日本も子供に優しい国で良かったなと思った。

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