私の中で、特に乗りたいとは思えない乗り物だった。
上の嬢の子育てはバリ島中心だったので、ママチャリとは接する事なくやって来た。
だが日本への帰国が決まった時、下の坊はまだ2歳半…
実家は割と車社会の田舎なのだが、通学(職業訓練校)と保育園の送り迎えを一気に済ませる為、遂にママチャリデビューした。
その時初めて気がついたのは、下手に波に乗るよりもムズイかもしれないという事。
特に前カゴに荷物をいっぱい乗せている時は難易度が上がる。
これが車体が低いタイプか電動のやつならまだマシだったのかもしれないので、今から買う人はご参考までに…
ところで去年の今頃、まだママチャリ歴一年生だった時、湘南移住を機に私のチャリにもサーフボードラックが装備され、更に得体の知れない乗り物となった。
この自転車用のボードラックはバリのバイクにつける様な鉄のゴツイやつでは無くて、最新型の折り畳みも取り外しもワンタッチで出来るタイプなのだが、かなり精密な仕様になっている。それが原因で、今回の落下事件が起こってしまった。
というより、私自身のママチャリレベルの浅さに加え、またボードラックもバリバイクと左右逆な事で、より難易度が増していたと思う。
普段は徒歩で行けるポイントに通っていたのだが、少し波の大きい日に鎌倉方面まで足を伸ばしてみようと、買ってから全く使わないままだったサーフラックをママチャリに付けてみて、いざ海へと向かった。
慎重にバイパスを走っていた所、江の島辺りでラックが車輪止めに引っかかってしまったのだが、気にせずに前へと進んだ。
気温の割にはまだ水温が低く、セミドライを着ていたのがサウナスーツ状態になっていたから、とにかく早く入水したかった。
そのまま進む事数十メートル…江の島の境川を越えたあたりで、サーフボードがゴトンと突然道路に落下してしまった。
よく見るとラックの折りたたみ部分の溝が壊れてカチッとハマらなくなっている。
まだ海に入る前なのに、、
滝汗をかきながら、ただ呆然と立ち尽くしていた所、「大丈夫ですか?」と店から出て来て声をかけてくれた優しいおじさんお兄さんがいた。
「わぁーやっちゃったね」とすぐにお店から店長さんを呼んで来てくれた。
壊れたラックと板を見るなり、店長さんはすぐに本格的な大工道具を持って来てくれ、ボードラックの噛み合わせが曲がった部分の修理を始めてくれたが、どうみても大工さんの手つきにしか見えなかった。
良かった、これで板を置き去りにする事なく家に帰れる…ほっとした。
そして、5センチ程のボードの傷をお兄さんとお姉さんはリペアテープで浸水しない様にと直してくれ、隙間にワックスまで埋めてくれ、板は無事に今日海に入れる状態に!
お陰様でその日のうちに私は鎌倉高校前での初サーフィンをする事が出来た。
波はまぁまぁだった。
私を助けてくれた江の島のサーフショップ↓
こんな誰かの優しさによく出会える街。
自然の中でのんびり暮らしていると、心に余裕が生まれるのだろうか。
地価、物価が高いだけあって、心に余裕がある人達が住んでいるのだろうか…。
そんなアレコレを考えながら一年を過ごし、いつの間にか南国を思い出して嘆く事も減り、昭和感の残る街並みと、都会的な人達との、この微妙なバランスが心地良いと感じる様になっていた。
解体家屋から出た残置物↓フルリペア&塗装しましてん。
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先週末にガスファンヒーターを買った私の勘、相変わらず冴えてます。
ただ、私の気分的には年末辺りから既に寒波入りしてまして…
年末に元々請け会社の倒産があったり、
年始には元請け会社の倒産があったり、
共倒れというやつなんでしょうか…
今年は建設業と運送業の倒産ラッシュが始まるのでは無いかと聞きましたが、大丈夫なのか我が家。
と、近況はド吹雪いていますが、
スンバ島の馬小屋で泣いていた過去と比べればまだまだイケるはず。
今年はどん底からの逆転を目指して行きますので、よろしくお願いします。
本題ですが、
日本に本帰国してから1年半が経ったものの…
この国で生きて行くんだという思いとは裏腹に、私の頭にこびり着いて離れてくれないインドネシアの記憶の断片たち…
冬はその一途な想いが更に強くなってしまいます…
そしてこの”南国に戻りたい病”を患っている、患者達とたまに”バリ島会議”を開く事が、
今や私にとっては必要不可欠な時間となっています。
ここでは、元〇〇中毒患者の会…の様に、自分の状況を人に話し気持ちを吐き出す事や、
それに対して客観的な意見を聞いたり、共感し合ったりする、いわゆるただのお茶会です。
バリ島からの帰国者だったり、インドネシア人の妻(元妻)だったり、そんなただ一つの共通点に過ぎないのだが、
だいたい価値観や悩みの部分が一致しているから、話は尽きることなく続きます。
去年、関東に移住して来てからは度々バリ島会議を兼ねて、このインドネシア料理屋さん”CINTA JAWA CAFE(=チンタ ジャワ カフェ)”へ通っています。
関東エリアに既に数店舗(秋葉原・関内・平塚・大宮)展開中。
ランチなら30分、ディナーなら1時間程度のわずかな時間だけれど、
ここで私たちが味わいたいのは”インドネシア料理”だけではなくて、”インドネシアの空気感”だったりもするんですよね。
お店に入るなり、壁側に積み上げられてまだ片付けられていない段ボール達をよけて椅子に座り、
ほぼ日本語の喋れない店員のおじさんが注文を取りに来てくれたのだが、
もしお客さんがインドネシア語を話せない場合(そのパターンの方が多い気がするが)
このおじさんは大丈夫なんだろうか…と心配になる。
そして、今にも隣の椅子に座ってたばこでも吸い始めそうな距離のつめ方をされ、バリ島の記憶が蘇る。
そんな光景に、もしやここはインドネシアなのかと錯覚しそうになる感じが心地よい。
最近のストレスフルだった出来事や、
朝起きるとワインのボトルが空になっていたという事態(犯人は自分)を受け、
私のこの日のランチは胃にも優しいBubur Ayam(ブブールアヤム=インドネシア風のおかゆ)をチョイス。
インドネシアでは上にUsusu Ayam(ウスス=鶏の腸?)のサテが乗っかってくるが、ここでは鶏皮だった。
私の行きつけだったお店、ヌサドゥアのithonスーパーの前に夕方だけやって来てはすぐに売り切れる、美人のお姉さんが売っているBubur Ayamの事を思い出しながら、インドネシアでの思い出に浸った。
因みにそこに並んでいる客はほぼ男性だった記憶がある。
そして、チンタジャワカフェでのランチを堪能しながら、気が付けば店は一番忙しい正午の時間に差し掛かり、まだ日本に慣れていなさそうな店員のお兄さんはパニックになりそうだったので、手伝いたい気持ちでいっぱいになってしまった。
ひと段落したのを見計らい、この日の食後はKopi(バリコーヒー)とデザートのココナッツぜんざいを頼む事に。
私は、若い店員さんの運んできたコピがあまりにも溢れていた事がツボだったが、
友達は、運ばれてきたデザートに最初からスプーンが刺さっていた事がツボだったらしい。
どちらにせよ、たった1時間の滞在時間で色んなミラクルがおこるインドネシア料理店。
味もさることながら、その空気感が私たちに、
「そんなにちゃんとしなくて良いんだよ」
「頑張らなくてもいいんだよ」
と語りかけてくれている様な気がして、例えお支払い金額がインドネシアの5〜10倍だとしても、多少日によって味が違ったとしても、また来てしまうのだろう。
サービスの裏側にある何か、そのぼやっとした部分に惹かれてしまっている自分がいる事に気が付く。
デザートも食べ終えた所で、最初の店員のおじさんがお皿類を下げにやって来て私たちに話しかけて来た。
何でもそのおじさんは、日本にもう7年間も住んでいるのだと言っていた。
驚いたのは、思っていたよりもだいぶん在住歴が長かった事。
日本に住んだ事も来た事すらも無いビーチボーイ達が日本語をペラペラと話す事を、どう解釈すれば良いのだろうか…
そんな疑問がふと浮かんだインドネシア料理店でのランチタイムで、この日も少し元気を取り戻す事が出来ました。
追記
そういえば、バリ島のハンバーガーはナイフが刺さって出て来るのがミラクルだった
↑こんな海バック、プールバックな日常に、戻りたくなります…
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バリ島で”革製品の制作”をしている友人のポップアップイベントへ行く為、横浜の中華街から程近い”山下町”という場所へ行った。
町の所々に神戸の北野を思い出させる様な雰囲気…というのが第一印象だったけれど、元住人に聞くと治安が良いとは言えないらしい。
でも私はその町の雰囲気を気に入った。
そのたまたま訪れた町で、たまたま入ってみた小さな中華料理屋さんで、たまたまオーダーした”本日のランチ”
私はどちらかというとお任せよりも食べたいものを選ぶタイプなのだけれど、この日は極度の空腹状態だった事と、まだ6月だったというのに外が異様に暑くて思考回路が低下していた事もあり、一番早く出て来そうな”本日のランチ”を選んだ。
そんな私の目の前に突然現れた”麻婆豆腐”こいつに私は心奪われる事になってしまった。
実は麻婆豆腐はそんなに好きな食べ物ではなかった。
だから家で作ることもあまり無かったし、外食で頼むこともほぼ無く、ただ友人が頼んだ麻婆豆腐をつつかせて貰ったり、その程度だった。
頼むと言えばエビチリとか、エビマヨとか、青椒肉絲あたりが定番だった。
だから余計に、この日の空腹を埋める予定だったランチタイムに運命の出会いがあるとは思っても見なかった。
本当に奇跡は突然やってくるものだ。
気がつくと運ばれて来た麻婆豆腐の皿は感動の後味を残しながら空になっていた。
友人のお皿のよだれ鶏のなんとかも既に空になっていた。
その日以来、私は外食で麻婆豆腐がありそうな店へ行く度に、麻婆豆腐をオーダーしてしまう様になった。
そして、その自らのチョイスを後悔してしまう…やっぱり何かが違うと。
それなのに、それでもあの味にたどり着きたいとまた何度も色んな店で麻婆豆腐を頼んでは後悔する…といった繰り返し。
私は完全にあの日の麻婆豆腐に囚われてしまっていた。
そんな日々を繰り返す事半年間、私に遂にその日が訪れた!
横浜へ行くという用事が出来たのだ。
そこで私は帰り道のルートを変更し、山下町を経由する事にした。
夢にまで見そうだった麻婆豆腐!
それを若いお姉さんにオーダーして、ワクワクとドキドキを隠せないでいた所、奥から見覚えのあるおばちゃんが出て来て言った。
「あなた、ここ来るの初めてじゃないねぇ」と。
おばちゃんは、平日の昼間にふらっと来てふらっと去った主婦二人の事を、覚えていてくれた。
しかも、半年も前の事なのに!!
二度目の麻婆豆腐の感動も大きかったけれど、おばちゃんの記憶力にも大いに感動した。
因みに、隣に運ばれてきた子供達用のラーメンも気がつくと空になり、おかわりまで注文する事になった。
そんな、麻婆豆腐に囚われていた話を地元に詳しそうな人にした所「あそこも有名」と教えてくれたのは、
鎌倉”かかん”
こちらはお店の看板メニューが麻婆豆腐という有名店だった。
平日の昼間に店前に並ぶ事30分、冷奴の小鉢と、杏仁豆腐の小鉢が付いて来るだけあって、お豆腐専門店とも呼べそうなほどのクオリティーだった。
山下町、そして鎌倉、
中華の数あるメニューの中でどのメニューもここまでの安定感を出している山下町”旭酒楼”も、
麻婆豆腐に使うには勿体無いと思ってしまいそうなクオリティーのお豆腐で勝負している鎌倉”かかん”も、
どちらもが感動の出会いでした。
お値段はどちらも1200円程でした。
この先もまた麻婆豆腐に囚われて、オーダーをし続けてしまうのか、
それとも麻婆豆腐が食べたい時には思い切って電車を乗り継ぐのか、
また別の何かに心奪われる様な出会いがあるのか分かりませんが、
2023年も小さな幸せを探しながら生きていこうと思っています。
数年間も放置していたブログを再開したにも関わらず、なかなか更新出来ないままでしたが、相変わらず覗いて下さった方々がいて嬉しい限りです。
来年もよろしくお願いします。
良いお年をお迎え下さい♪
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「昨日は疲れすぎて寝れへんかったわ」と車中泊明けのサーフィンの時につぶやいていた。
あの時の私、
「ええ、何で疲れてるのに寝れないんです?逆じゃないですか?」って聞き返してしまってごめんなさい。
そんな私に「うーんとなぁー、年取ったら分かるわぁー」って優しく答えてくれてありがとうございます。笑
つい先月、旦那からも忘れられていた40歳誕生日の日に、
Webスクールで知り合った、一回り以上年下の友達が、関西から遊びに来てくれて、
湘南で何とサーフィンデビューを果たしたんですけど、
学生時代の彼女は陸上一筋で、卒業後もスポーツトレーナー(だっけ?)としてジムで働いていて、
そんな体育会系な彼女(予想通り割とすぐ立ててましたけど、)
サーフレッスン
初めてのサーフィン後に「もう腕が痛くて回らない、あとかなり腰にきますね」っていうのと、
「どうやったらおじいちゃんになってもサーフィンが出来る身体をキープ出来るんですか」って、、
そこにすごい感動していました。
多分日常的に色んな年代の色んな人の身体と向きあっていたから余計、
おじいちゃんでサーフィンを続けている事が衝撃的だったんだと思います。
頭に鳥乗ってる♪
確かに、特に湘南に来てからは元気なおじいちゃんのサーファーを時々見かける。
老けているとかでは無くて、年齢的に本当におじいちゃん。
あんな風になれたら良いなと思うけど、多分ほとんどの人はなれないんだろうねって、
そんな話で盛り上がった。
昔、「疲れすぎて寝れない」と言った先輩の友人は、一年ほど前にヘルニアのうえに脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)のダブルパンチなんだと、InstaかFBかでレントゲン写真と共にUPしてたのを思い出した。
見つけたのが時間差あり過ぎで、コメント出来ないままだったけど、その時のハッシュタグが確か
#サーフィンしたい
だった気がする。
コメントには、「足腰立てんようになるまでやる」って書いてあって、
それにも感動した。
因みに大先輩はおじいちゃんではなくてまだおじさんです。
その大先輩も、たまに海で見かけるおじいちゃんサーファーも、
きっと海が大好きで、
サーフィンが大好きで、
だからサーフィンが出来る身体をキープ出来ているんだと思います。
それに確かダブルパンチの先輩は、
いまや「ハイキング」という名の山登り?岩登り?を家の近くでしているみたいで、
サーフィンの為のトレーニングなのか、もう一つの趣味なのかはまだ聞いていませんが、
写真を見た感じ、多分山側も本気だと思います(笑)
還暦の時には赤いウェットスーツを後輩たちからプレゼントされていて、
私は還暦ウェットをプレゼントされた人を3名知っているんですけど、
皆年をとっても見た目もずっと若いままでカッコ良い!
きっと陰ではそれなりのハードな努力やストイックな制限なんかもしてるんでしょうけど、
それを見せないところがまた凄いなぁと思います。
今や疲れすぎて寝れない気持ちも余裕で分かり始めた私も、
そんな妄想にふけりながら、
10年以上前の疑問に納得しつつ、
今夜も夜な夜なBLOGを更新しています…
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コロナ以降更新が止まっていましたが、何とかコロナの後遺症も落ち着いて来ました。
ただ髪の毛が抜け続けている様な気はしますが、年のせいもあるが、一日中掃除機をかけまくり対処しています。
若干神経質な私ですが、20代の頃はどちらかというと汚部屋の住人でしたので、今部屋が片付かなくてお悩みの皆様ご安心を…。
何の話や…。
本題ですが、
日本で暮らす旦那が突然倒れ、バリ島に住んでいた私たち(私+娘+息子)が帰国を余儀なくされてから、はや1年半が経っていました。
帰国直後はバリ島に残してきたモノ達(特に思い出)に囚われる日々が続き、それに入退院を繰り返す旦那の今後への不安、自分たちのこれからの不安、色々重なって憂鬱な日々を過ごしていましたが、最近になってようやく”日本が舞台の夢”を見ました。
そうなんです、帰国してから1年以上、私が寝ている時に見る夢の舞台はすべてがバリ島だったんです。
まぁ夢は起きた時には忘れていたりもするのですが、覚えている夢の100%は南国でした。
ビーチで寝転ぶ自分の夢や…
パサール(市場)に買い物に行く夢やら…
透き通る波に乗る夢…
それに、薄暗いチケット屋さんで「私の持っている日本行きの航空券を何とか1週間延ばしてくれないか」と懇願するリアルな夢…
そのチケット屋さんの胡散臭そうなバイトの男子は、奥に座っているボスにその件を相談すると、
更に胡散臭そうなボスは「チップを上乗せしろ」とバイトの子につぶやいていた。
しぶしぶ財布からもう50万ルピア(約5千円)を手探りに数える私、チップとしては決して安くはない…。
そこでようやく目が覚めた。
薄暗いチケット売り場よりは実家の寝室は明るかったが、また”バリに帰りたい…”と思ってしまう。
つわりにの時にSNSに流れてくるご飯の写真が耐え切れなかった時と同様、
やはりInstaに流れてくる南国の写真が切なかった。
私もここにいたハズなのに…
そんな夢を見た日の朝はどんよりした気分だったけれど、昼間は何とか普通に過ごす事が出来た。
ある日、旦那を病院へ送り、待ち時間に市の施設であるボーネルンド(子供の遊び場)&児童館に、3歳児を連れて行ってみた。
辻堂だと確か平日でも1500円/h 程だった気がするけれど、子育て天国明石市では何とタダ/h だった。
入れ替え制で1時間ちょっとの利用が出来る。
その待ち時間に、隣の児童館の方で遊ばせようと中に入った所、
息子は本の置いてあるコーナーに一直線で走って行った。
普段なら、滑り台や車のオモチャへ向かって突進して行くハズなのに、どうしたんやろう…
後を追いかけてみると、息子は大好きな"ノンタン"の本を手にとって嬉しそうにしていた。
「ママこれ読んで」
1ページづつめくり、ゆっくりと声に出して読んではみたものの、もう私の涙腺は限界に達していた。
ノンタンの本は、バリ島でまだ娘が小さい頃に、私の母が日本から送ってくれた本で、
息子が生まれてバリ島に戻ってからは、ほぼ毎日ノンタンの本を読みながら寝かしつけていたのだ。
”あかん、もう無理や”
しかし、児童館で息子を連れて泣いている母…
スタッフさんにもしバレたら、子育てで悩んでいる母だと勘違いされてしまう。
私はただバリ島が恋しくて泣いているだけなのに…
このままでは身の上相談をする羽目になってしまうと思い、必死でこらえた。
後になって思うと、ノンタンの本で号泣するとは、かなり精神的にやられていたと思う。
ただ、スンバ島で過ごした馬小屋で泣いた日々も、後になれば笑い話へと変わったし、
辛い時の経験の方が、後で振り返ると良い思い出になっていたりもするのは経験済み。
だから乗り越えよう、そう思ってWebのスクールへ半年間通った。
慣れないアルファベットだらけの画面は、南国を忘れさせてくれたりもしたし、
その場所で出会った全員が年下というクラスの仲間も、刺激を与えてくれた。
そして、予定外の帰国から1年たった今年の4月、私は地元の関西を離れ湘南へ移住した。
また新しい刺激が始まった。
幸い、海から徒歩3分という好立地で築50年越えの物件を借りる事が出来た。
海辺の暮らしは始まったが、砂が黒い事が気になった。
そして波は割と無い…。
けれど、海へ散歩に行き水平線を眺めていると、心が晴れる。
そして、私はこの場所にバリ島との意外な共通点を発見した。
この場所も、行き当たりばったりではなく、この場所を選んで住んでいる人が大半だという事に気が付いた。
地元の人と、ここが好きで移住してきた人たち…
それが、バリ島に住むバリ人と、バリ島が好きで移住して来た外国人も含む島民以外の人たち…
それと似ている。
自ら選んで住んでいる人たちのエネルギーが集まり、
それがバリ島にいた時と似たような心地良さを作ってくれている様な気がした。
日本に帰国して1年半、
そして湘南に移住して半年間、
この場所で生きて行こうと、そして南国を思い出して泣く事はそろそろ辞めようと決意した。
するとようやく、私の見る夢の舞台が日本にかわったのだ!!
それは成田空港でバリ島行きのチケットを探すという、まだふっきれてはいない感じの夢でもあったが、
とにかく、夢の舞台がバリ島では無くなったという事が、私の中で一歩前進したような気がした。
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どなたかのお役に立てればと…残しておきます。
振り返る事、7月中旬、
エアコンでやられた程度の喉の違和感と咳が出始める。
この時3歳息子も保育園でもらったのか咳をし始めたので、2人で耳鼻科に行き私のみ鼻からブスッタイプの抗原検査をするも陰性でした。
この時息子にも鼻ブスをしたとすると、その後1〜2時間は不機嫌と付き合う羽目になるのは容易に想像出来たので、やめておきました。
「あぁー何かよう分からんけど陰性で良かったわぁ…」と、この時は1か月後の悪夢など想像もしてませんでした。
そして飛ぶ事8月上旬、
相変わらず深夜に咳が出ていたのと、恐らく咳で腰痛が悪化しました。
数日後には実家への帰省も控えていたので、ここで呼吸器内科を受診。
症状を話した感じでは「喘息でしょう」と言われたけれど、病院の方針で診察前に抗原検査をしなければならないとの事…
また鼻からグサッタイプで今度は何と、まさかの陽性が出てしまいました。
前回の陰性から2週間後の事でした…
恐る恐るドクターに聞くと、抗原検査で陽性の場合「ここ数日内に感染した可能性が高いでしょう」との事。
(まだ)良かった。2週間前から私が無症状感染者だったのだとしたら、恐らく家族以外にも感染させてしまっているハズ…
ホッとしたのも束の間、そこから私のコロナ感染者としての生活が始まった。
だがこの時には、時間差で家族が次々に感染し、3週間も家から出られない事態になるとは想像もしていなかった。
一番の不安は、遊び盛りの3歳児と10歳児を家に10日間も閉じ込めなけれなばいけない事だった。
私自身も大して症状もなく、いったい何をして過ごせばいいのだろうか…
幸い週3で在宅勤務をしているので、買い物以外は特に支障もなく、
一方の子供たちは、特に文句も言わずに引きこもっていた。
寧ろ2人とも自宅隔離を楽しそうにしていて、私に文句言われる事無くムービーが見れるのがむしろ嬉しかった様で、流石”引きこもりの血”を引き継いでいるなと実感した。
10日間の隔離は思ったよりも早く明け、ようやく外に出て向かった先は徒歩圏内の海だった。
久々の太陽、風、雲、外の世界ってなんて素晴らしいんだろう!
それに焼き肉って何故こんなに美味しいんだろう!!
しかし2日後…あろうことか、旦那が床に転がり始めた。
どこかで見たことがある光景…そうだ、あの時だ、旦那が急性アル中で倒れたあの日。
詳しくは↓
ところで、旦那は私と出会ってから10年の間に3度も死にかけている。
7年近く別居していたのに3度も死にかけた所を見たのだから、恐らく私の知らないのも合わせるともっとだと思う…
色々と思い出すうちに、あの日の怒りがまた沸々と再燃して来そうになったが、今や旦那は基礎疾患持ちの障がい者…
そもそも、何度も死にかけている背景には、もともとこの基礎疾患が隠れていたのが理由かもしれない。
何はともあれ、旦那を病院のPCRに連れて行こうとしたら、何とうちの駐車場にはその時点では中型トラックしかなかった。
結局旦那の運転で病院に辿りついたが、発熱外来の待合(屋外駐車場の1階)には”ただいま120分待ち”の看板が!!
どこかで見たことがある、そう確か、USJの乗り物の入り口とかにある看板だ…
確かジュラシックパークも120分待ちで諦めたが、この具合の悪そうな旦那は120分待ちにはおそらく耐えられないだろう。
それと、この事は私の脳裏に当分焼き付くたろうと思うのだが、駐車場1階の屋外待合には具合が悪くてうずくまる人や、寝そべっている人、てんやわんやでまさにカオスと呼べるレベル、、
久々に私はインドネシアの病院を思い出してしまった。
スンバ島にもブラックマジック?!【Part1】恐怖のローカル病院 スンバ島移住生活
がしかし、列の最後尾に並び始めた旦那…そこで何とまたしてもびっくりする出来事が起こった。
何と、列の最後尾に並んでいる私たちの所へ、謎のパンフレットを持った金髪でちょっと軽いテイストなお兄さんがやって来た。
「あのー、今日も300人くらいの人が診察に来ると思うんですよー、待つのキツイと思うんで、病院とは別のテントでなら今すぐPCR検査出来ますよ♪」と。
結果が当日分かるやつなら15000円
次の日なら10000円
翌々日のなら5000円
「唾液で簡単に検査出来ますよーっ」
と、どの辺もまるでインドネシア。
結局、そんな甘くも苦い誘惑に負けお願いする事にした。
娘と息子も念のため検査しておきたかったので、旦那は10000円のコースで、子供たちがそれぞれ5000円のコースで無事PCRを終えた。
それでもバリから日本へ帰国した時のPCRよりは、だいぶん安かった。
そして帰宅後…結局その時のPCRの結果を待たずして、旦那の血圧は200以上にまで急上昇し、救急車を呼ばせて貰う事にした…
搬送先がなかなか見つからないとの事だったが、ようやく受け入れ先が見つかった時に救命士さんが「腎不全で透析されてる方で、心不全の疑い」と搬送予定先の病院に告げていた。
え…心不全??
確かに、心電図は不規則な動きをしていた。
その聞きなれない単語を聞き、過去に3度も蘇った旦那も今度こそTHE ENDなのかと色々と頭をよぎって泣けて来た。
だが家には子供が2人もいるし、夜に子供たちだけ置いて出かけるわけにも行かず、
私は一度乗った救急車から降りて子供たちと家に残ったのだが、深夜の2時にまたしても救急車で帰宅した旦那はコロナ陽性と診断されたとの事だった。
そしてあろうことか、その次の日の夕方にはまた普通の人へと戻っていた。
そしてそのまた次の日、2週間前に感染済みだったはずの私も高熱が出始めた…
10日間の隔離が明けた、3日後の事だった。
コロナが再燃したのか、再感染なのか、抗原検査も結局出来ないままだったので詳細は分からないままだった。
2度目の感染(もしくは再燃)だったのに症状は前回よりも酷く、辛かった事しか思い出せないが、今度は私がうなっている横で一昨日救急搬送されたハズの旦那が肉を焼いて食べていたのだけはよく覚えている。
つわりの時に私の真横でバビグリンを食べ始めた時と同じくらいに、腹が立った。
そして、その数日後には娘までもが感染…お盆で病院にも行けなかったが、高熱と頭痛でかなりうなされていて可哀想だった。
娘に関しても、10日後のやっと隔離が明け外出した帰り道、近所のスーパーから「先に帰っとく」と歩きが遅い私と弟の前を歩き始めたのだが、家に辿り着く一歩手前で目眩を起こして倒れ、近所のおばさんに我が家へと運ばれ、水を飲ませて貰っていた所に私が帰宅。
そしてそのまま救急搬送される事となった。
1ヶ月で2度(もしくは3度⁈)コロナに感染してしまい、
1ヵ月で2度も付き添いで救急車に乗ってしまった。
その度に対応して下さった医療従事者の方には、本当に感謝しかない。
そして、旦那が救急車に乗った時の対応よりも、娘が乗せて貰った時の対応の方が優しく丁寧に接してくれ、日本も子供に優しい国で良かったなと思った。
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時代の流れやコロナ禍で人との距離がまたじわじわと広がりつつあるのかなと感じていました。
ですがここ湘南に移住して来て最初に感じた印象は、とにかく人がフレンドリーに接してくれるという事。
来てしばらくは徒歩で移動していた事や、うちの3歳児が全く人見知らない…どころか誰にでも話しかけたりする性格のせいもあり、余計にそう感じている部分もあるかとは思いますが…
●郵便局で私が用事をしている間にずっと遊んでいてくれたおばちゃん
●暑い日にもう歩きたくないと誰かんちの軒先に入ったところ、冷たい麦茶を持って来てくれた住人さん
●道端でもう歩かないとわめきだした時に頑張れ〜と励ましてくれた道行く人々
●かごの中の犬をじっと見ていると、”この子”の自己紹介を始めてくれたおばちゃん
●そんな事が日常である日々
そういうのって、現代の日本にもまだ残ってたんですね。
特に昔から地元に住んでいるであろう方々のフレンドリーな事よ、
久々にバリ島での人との関わりを思い出したりしました。
それと、フレンドリーでありながらも上品さは残っているという不思議な感じ…
いや、別にフレンドリー代表の関西の某エリアと比べてる訳じゃ無いですよ(笑)
カバンから飴ちゃん出してきてハイッてくれる人も好きですし!
バリみたいに初対面で家族構成から仕事、給料なんぼやーっまで聞いてくるバリの感じも嫌いじゃないですよ!
そんなこんなで、ふらっと道を行けば人とのコミュニケーションがふと生まれたりもするこの雰囲気を、とても気に入っています。
あと、古い物がレトロ格好よく残ってる街並みや、
受け継がれたものを残したいと思う気持ち、
日本のバリ島はてっきり大阪オンリーだと思っていましたが、
関東にもバリ島みたいなところがあったとは、意外です。
旦那に言わせると
「余裕があるからこそ出来るんやわ、近所のポルシェは屋根無しパーキングで雨ざらしやで、サビサビなってるし」
とかまたよく分からない事をつぶやいていましたが、
こんな風に心地よいと思える場所に身を置き、カタチから入る心の余裕も重要だと思いました。
まぁ今回の移住にあたり、実は一度も下見に来てはいなかったんですけどね、
ところで、そんな常にインドネシア目線(一部の富裕層を除く)な旦那の湘南の第一印象は、”田舎なのにお洒落”だったそうです。
これこそ都会人の求める”田舎”なんだとか…まぁ分からなくもない。
その辺分かっている割には、スンバ島をもうちょっとDEEPからECOに印象操作しよう、といった私の意見は取り入れませんでしたよねっ。
まぁ私たちが失敗したスンバのサーフキャンプ経営もまだ諦めた訳じゃ無いですけど…
と…そんな旦那の故郷は、扇風機は使える程度の電気は来ているが、
水道もガスも今の所まだ無いし井戸を汲み上げる為のバケツの紐さえも切れてしまう、
文明からはかけ離れた、インドネシア人でもびっくりレベルする田舎です。
そんな旦那が3月ギリギリに内見をして回り、最終的に契約を決めた場所は、
私がピックアップした5か所のうち、ただ海から一番近いDEEPな物件でした。
ブログTOPの画像を覚えたてのイラストレーターで描いてみました。
湘南の海と江の島シーキャンドル、大好きな江ノ電の線画にしてみました。
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過去の記事をランダムに開け、そこからは過去の自分の様子を覗いてみる。
サーフィンが好きでバリに移住した20代半ば→
結婚後しばらく過ごした日本での出来事→
秘境スンバ島での起業と挫折→
バリ島での仕事復帰と子育ての事→
別居しワンオペ育児だった日々→
どの部分を見ても過去の自分、なかなかぶっ飛んでいるではないかー−−!!
特にスンバ島で過ごした数か月の記事には、「お前正気か?」と思える節々もあって、客観的に今の自分と見比べてホッとしてみたり・ちょっと淋しい気もしたり、あぁこれが歳をとるという事なのかとしみじみと感じました。
ところで2022年現在、私たちは家族で湘南に住んでいます。
なぜ湘南?と聞かれたりもしますが、
色々あって、ほんと色々あって、この場所に落ち着きました。
いや、落ち着こうとはしていますが、現状必死にもがいている感じです。
あの日まではインドネシアに一生住み続けるつもりだったし、
日本で出稼ぎをしていた旦那もいずれはインドネシアで生活をしたいと言っていたし、
日本に帰るという選択肢はありませんでした。
よく周りの人からは、インドネシア人の旦那は外国(日本)で一人働いて、
私は外国(バリ島)で一人育児をし、
「大変そうやな」と言われたりもしましたが、
いやいやいや…
少なくとも私にとってはバリ島での生活は控えめに言っても最高っ!!でした
ですが、私たち家族に転機は突然やって来ました。
体力だけが取り柄だと思っていた旦那が、何と日本で突然倒れてしまったのです…
忘れもしないあの日、知らない番号からの電話が鳴り、旦那が突然倒れ救急搬送されたと聞きました。
人の死というものを何度も見ているであろうジャワ人の友人によると、「もう危ないかもしれない」と…。
その他の会話はよく覚えていないけれど、頭が真っ白になった事だけは覚えています。
実はその救急搬送の一週間前に頭痛でクリニックを受診し、そこから大学病院を紹介され、とんとん拍子で検査が行われ、何とステージ5「末期腎不全」だと診断されていたのですが、絶望感に襲われてはたものの、あんなに元気だったし何かの間違いでは無いかという期待もありました。
ですがその病名を突き付けられた次の日、仕事中に動かなくなってしまったトラックを後ろから押したところ、血圧が上昇して倒れてしまったのだそうです。
バリでその連絡を聞いた後は何も考える余裕も無く、家も車も何もかもをバリ島へ残したまま、ただPCRの紙とチケットを持って飛行機に飛び乗った様な感じでした。
私が初めてバリに移住してから12年の時が経っていました。
これまでの思い出を振り返って空港で泣く暇すらも無かったのはせめてもの救いでしたが、こんな形でバリを離れる事になるとは思っておらず、旦那に起こった出来事も信じられませんでした。
そして、スーツケース二つと子供二人を連れて、ジャカルタ経由で必死に日本にたどり着いたあの日から、もう一年が経っていました。
日本の素晴らしい医療のおかげで、旦那は何とか生きながらえ、IgA腎症という難病由来の末期の腎不全だった事も判明し、今では週に3回の透析治療を行っています。
帰国後のしばらくは私の実家に家族でお世話になりながら、旦那は透析導入を行ったりしていましたが、体調も落ち着いて来た為に半年前に横浜に戻り、起業する道を選びました。
そして新学期の4月を迎え、私たち三人(私・娘・息子)も神奈川へ転居する事に、やはりバリ島暮らしの日常でもあった海辺の生活が忘れられず、横浜から一番アクセスの良い湘南に移住する事に決めました。
帰国した直後はドクターに「数値的には生きているのが不思議です」と言われた旦那でしたが、今は元気に朝からサーフィンへ出かけ、そのまま仕事をし、夜間透析をしながら生きています。
何なら私の方が、腰痛が悪化したり、コロナに感染したり、帰国ブルーで涙が出たりしていますが、
自分に与えられた人生を、出来る限りポジティブに捉え、生きていきたいなと思っています。
ところで、3年間放置したBLOGは復活するのか?!という今回のテーマ、
自身のブログで検証してみたいと思いますので、たまに覗いて貰えるとうれしいです。
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この焦り始める日が若い頃よりも早まってきた辺りに、自分の成長が感じられます。
昔は前日の夜中に荷造りしたものですが、まぁ今のバリ島には私が必要だと思うモノは何でもあるし、無いなら無いで何とかなります…
コンタクトレンズも、クレイジーソルトも、サプリメントも、大体バリ島でも手に入ります。
ですが日本で買ったほうが明らかに安かったり、クオリティの高いものを厳選して持って行く感じです。
そういえば、6年前の旦那の故郷”スンバ島”へ移住した時は、それはそれは大荷物でした。
キットカットやハム&チーズ・バターまで、島では手に入らないモノを思いつく限り買い込んだものの、荷物のみがティモール島へ行ってしまい、全腐りでしたわ…。
それなのにサーフボードはちゃんとスンバ島に到着し、何故か私の大型ボードケースとそれに続いて棺桶が一緒に飛行機からおろされたんですよ…。
何でも、バリ島でスンバ人同士の”いざこざ”があったそうで、その一人が棺桶に乗ってスンバ島へと戻って来たのだそうだが、ご遺体を空港で待ち受けるご家族が皆イカットを巻き腰に刀を刺した”正装”で待ち構えていて、さぁ敵討ちに行くぞと話が盛り上がっていたのだった。
やれやれ、物騒な島に嫁いで来たもんだなと思ったものでした。
と話は飛びましたけど、そんな感じで、今のバリ島に無いものはあまり無いので、忘れて物があっても特に問題は無いのです。
パスポートと財布と携帯さえあればね…
え、、、!? そのパスポートが見当たらないって??
そんなまさか、国を代表する公的機関が国民の大切ーーな重要書類失くす訳無いでしょ…無いですよね…!!
……???
という訳で話はさかのぼりますが、5月の中旬、いや忘れもしない5月20日に、私は新しく出来上がった”オトウト”(0歳児)の日本国パスポートに、インドネシアの両国籍を持っていますという”二重国籍証明書”を貼って貰うため、パスポートの原本を〇〇ドネシア〇〇館に送った。
〇が多いですがご察し頂ければと思います。
ホームページに書いてある通りに各書類のコピーをとり、(7年前は確か全ての書類の原本が必要だったので、今以上に不安だったが、)パスポートのみは原本を送らなければならず、そこに取得費用1300円を払いましたよという”払込票”も同封し、少しの不安がありながらもレターパック(追跡ありのスピード郵便)の中に返信用のレターパックを入れて送るという方法に従い、ポストの前で手をたたいた。
パンパン”無事到着します様に”
恐らくずっと日本で暮らしていたのなら、このポストの前で手を叩く儀式と、飛行機の離陸前に手を合わせる儀式は一生する事が無かったんじゃ無いかと思う。
それだけの”ありえない”をいつも想定しながら暮らしているけれど、何だかんだで国の公的機関もちゃんとしていたり、街並みと同時に発展していくシステムに出くわしてはなかなかやるなと特にここ数年で感じ始めていたところだった。
のだが、
待てど暮らせど、送ったはずの”オトウト”のパスポートは届かない…。
こちらから送ったレターパックの追跡番号を入力した所、書類は確かに〇〇館へ届いてはいた。
レバラン休暇(断食明け)と重なり、混雑しているのかな?と思ってみたり、
G20の交通規制で、郵便屋さんが遅れているのかな?
もしくは最近、郵便局の荷物と配達員が行方不明になった事件もあったばかりだし…と疑ってみたり。
それにしても遅すぎるので、不安になって電話してみたが…
今、担当者が居ないです!! ガチャっとか、
ここ〇〇館には無いのでもう送ってるはずだとか、
今配達中ですが多分混んでいます…とか、
いやいやいや、この数日間でも楽天市場の商品はポチっては届き、ポチっては届きしてるけど、
なぜ肝心のパスポートが届かない…
余裕を持って申請していたのに、このままでは渡航の日に間に合わなくなる。
それに玄関のピンポンがなる度に期待して裏切られるこの気持ちをどうにかしてくれ!!
そしてそれから約一週間後の事、我が家に一本の電話がかかって来た。
「あのー〇〇ドネシア〇〇館ですが…実は”オトウト”さんのパスポートがここにあります!
ですが二重国籍証明書の取得費用が6月から変更になり3700円に変わったので、足らずの2400円振り込んで下さい。
そしたらパスポートすぐに送りますんで…」と、、、
え?何ですかその人質交換みたいな感じ、しかも結構な値上げしましたね…
けれどようやくパスポートが見つかった事にとりあえずほっとした。
3700円−1300円の計算も合ってるし!!
だけどだけどね、お気づきでしょうか、5月に書類を揃えて送っていたのに、そちらの不手際で手続きが6月にのびのびになっているのに、最近変更になった差額をやはり払わないといけないなんてね、流石だわ。
流石っス!!
だからGoogeMapの評価のほとんどが★一つなんですよ…
そして、郵便局で差額の2400円を支払い、待つ事さらに約1週間、
待てど暮らせど、”オトウト”の大切なパスポートは届かない…。
こんな事ならもう諦めてパスポートを作り直し、観光ビザでインドネシアに入国しようか…
気分が諦めモードになり始めた瞬間、私のなかで久しぶりにイラっとした感情がこみ上げてきた。
0歳児を連れてのパスポート取得は、それなりに大変だった。
写真を目線が来るまで何枚も撮り直したり、抱っこ紐で混雑したパスポート事務局へ2度も行ったりと、道のりは長かったのだ。
あれをもう一度しなければならないのか?
そしてそのイラっとした感情を、同じ国籍を持つ旦那へぶつけてみる事にした。
因みに、外国人と結婚した彼らのストレス原因NO1は、自国の不手際によるコンプレイン(クレーム)を旦那や奥さんから聞かされる事らしい。
何故か同国民に対しての方が高圧的な態度をとって来る事の多い某国の公的機関の職員さんたち…
旦那が私に言われた通りに”レターパックの追跡番号で配達状況を調べて欲しい”と伝えた所、
「なぜ送る前に中に入れた返信用レターパックのシールも剥がさずに送ったのか?
私達は追跡なんていう仕事を追加でしたくは無い」と責められたそうだ…(怒)
そんなルール聞いてませんし、レターパックの番号は送る側がポスト投函前に剥がすものじゃ無いですか??
大体、手数料を2400円も上げたクセに、レターパックのシールの管理くらいきちんとして頂きたい。
だからGoogeMapの評価のほとんどが★一つなんですよ…
それから約一週間後、
パスポートの事は諦めかけ、再発行へ行かなければと思っていた所に電話がかかって来た。
ここまで来るのに既に3週間と数日が過ぎていた。
「実は”オトウト”さんのパスポートの入ったファイルが別の場所にありまして、これからすぐに送りますので。」と謝罪された。
次の日、忘れもしない6月20日の午後、”オトウト”の大切なパスポートと二重国籍証明書の入ったレターパックは我が家に無事到着した。
ちゃんと追跡番号のシールも剥がれていた(笑)
トラブルが無ければ3営業日に発送される予定だったパスポート、
1ヶ月の長旅を終えてようやく手元に戻ってきた事もあり、よく分からない達成感さえ湧いてきた。
そしてその間、郵便局を少しでも疑ったことを反省した。
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前回の記事がつわりが終わった位だったので、ブログ放置歴が1年に達していた様ですが、私達は元気です。
お茶碗に半分くらいのご飯を食べたらへんからため息をつき始める、食の細い”コムスメン”(7歳)も、
お茶碗いっぱいのおかゆを食べほした後にまだ物足りなそうな顔をする、体重右肩上がりな”オトウト”(7か月)も、
すくすくと成長しています。
ブログによると、ちょうど去年の今頃は、コムスメンのバリ島現地校での卒園式前日に、寝室にアルコールの水たまりを作った旦那さんでしたが、現在は関東で出稼ぎ中。
(前回のブログの”水たまりの話”が割と好評だったので、リンク貼っておきますね…。)
ところで旦那さんは、一年前に寝室に水たまりを作ったとは思えない位、日本ではちゃんと働いていて、すっかり真面目モードにスイッチが切り替わっている模様です…
相変わらずな別居生活ではあるけれど、1〜2か月に1回のペースで今私がお世話になっている関西の私の実家へお土産片手に帰って来ます。
そして、床によだれの水たまりを作るのがマイブームの”オトウト”の顔をしげしげとみつめては、「俺の小さい頃にそっくりだ」と言ってにやけていますが、このよだれの水たまりが、35年後にはアルコールの水たまりになっていない事を祈っています。
ところで、離れて暮らしている私と旦那さんとのコミュニケーションツールはもっぱらLINEなのだけど、この前旦那さんが働いている”解体屋さん”(全員外国人)のところに、スリランカ人の男性が出稼ぎにやってきたそうで…
その日もちょうど休憩時間にLINEで話をしていたら、電話の向こうでスリランカ人男性が旦那に「飲み物買いに行くけど何かいる?」と話しかけていた。
なかなか気が利くではないか!!
それに対し旦那は、「あ、何でも良いよ適当に、ついでに皆の分も…」と頼み、周りにいた皆も「何でも良い」と告げていた。
そして5分後帰って来たスリランカ人男性の手には、何とぶどうジュースが8本も!!!
「何で全部ぶどうなの?」と、先ほど何でも良いと告げたばかりの旦那が言っていた。
どっちもどっちだとは思うけど、確かに…当たり障りの無いお茶やジュースならともかく、外食メニューにもなかなかチョイスされなそうなぶどうのジュースを選ぶところは国民性なのかなとか思いつつ、そんなおつかいの話は忘れていた。
それから数日後、私の実家に帰って来た旦那さん。
何故かいつも新幹線で行き来するのだが…、普段はハードな仕事をしているのだろうから「夜行バス使えば」ともそこは言えず、
というか言う前に、「長距離バスは疲れるから嫌やねん」と、そこも日本モードでおっしゃる旦那さん…
え?インドネシアの皆様って横向きの大移動全然平気やと思ってたけど、違うかな。
大体昔はスンバからバリまで船で3日間かけて行き来してたのでは?
しかもそのうちの一回は小さな漁船だったとか何とか…
環境は人も変えるのね、、
と、自分の事はすっかり棚にあげ、旦那の変化に対して色々と細かい事を思ってみたりもするけど、口には出さないでいた。
それにそれに、日用品やビールも全てポイポイとコンビニで購入して来るし、ポイントカードも使わずに!!
しかも発泡酒でも第3のお酒でもなくプレモル500ml×4本だったりという、
そーゆー小さな事もろもろにも全て目をつぶっている私だけれど、
話はそれましたけれど、その日も深夜のコンビニにビールを買い足しに出ようとしていた。
社交辞令的に「ビール買いに行くけど何かいる?」と私に聞いてきた。
日々の授乳のせいか、夜食抜きでは眠れない私は、「クレープ」をリクエストした。
実は毎晩スイーツかアイスクリームを食べるのが日課になってしまった私…
出産時に20kg増え、今なお10kgしか落とせてないという事実は、後々考える事にする。
そして私はもうすぐ帰って来るであろうカロリーたっぷりのクレープに思いをはせていた。
甘いものにコーヒーは欠かせない、スタンバイも万全で旦那を迎えたところ、
「無かったわ、クレープは、でもその替わりにこれ買ってきたから!!」
と、自信満々に手渡してきたのは、
???ぶどうゼリー???
!!!しかも2個!!!
「ガーーーン」とは言えなかった…わざわざ買って来てくれたのだから。
だけど口がクレープモードになってしまっていた私は割とショックを受けていた。
何でゼリーよ、全然ゼリーの気分じゃ無いわ、
こーゆーのとか、
こーゆーのとか、
期待してたのに…
クレープが無かったとして、替わりに買うなら同じ棚にあるシュークリームとかロールケーキとかが妥当じゃない??
何で裏側の棚にあるヨーグルト&プリンゾーンからわざわざ選んだのよ…
そんな事よりこの深夜のコーヒーはどうすんのよ…
という全ての心の声にはそっと蓋をして、やさしく問いかけた。
「何でぶどうゼリーにしたん?」
そしたら「クレープが無かったからグレープのゼリーにした…好きやろ?」と、真面目な顔して言ってきた。
え、点々?点々付けるそこ?
クレープからグレープて、親父ですか?しかも真顔で。
それに前はグレープの事をぶどうって呼んでたのに、何故英語になった?
確かに、つわりの時には食べられそうなものがゼリーしかなく、バリでも手に入るたらみのゼリー3種類のローテーションで日々を乗り切った事は確かだけれど、どちらかと言うと苦い思い出…。
”旦那が思う私の好み”も、もしやそのつわりの時点で止まってるさては…?
このブログ並みに更新頻度低すぎなんですけど。。。
という心の声にも蓋をしつつ、良い方に捉えることにした。
ダイエットがなかなかはかどらず、そんな私を気遣ってあえてカロリー控えめなゼリーをチョイスしてくれたのかもしれないという事にして、乗り気ではないゼリーを食べてみたところ…
「美味いわっ」日本のゼリーなめとったらあかんわ!!
ぶどうゼリーの中に、立方体のぶどうの寒天がまばらに入っていて、またところどころにナタデココが潜んでいる。
何と1つのゼリーで3つの食感が楽しめる♪♪
という事でその日は日本の進化したゼリーを堪能し、旦那が関東に戻った後すぐに、思いをはせていた念願のクレープをまとめて2個堪能しときました。
と…噂をしていた所、またしても旦那から連絡あり、これから新幹線乗るわ…と。
現場と現場の間に一週間の隙間が出来たらしいのですが。
え?大丈夫なん、隙間って…割と大きな隙間ですけど?
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バリ島からのフライトの直前(ほんの数時間前)にアグン山が大噴火したり、帰国の直後には西日本では洪水災害、その後は猛暑にやられたりで、コムスメンも今までに見た事が無い位大粒の汗を流していますが、私達は何とか元気です。
身近で災害を目の当たりにし、いつ南海トラフ大地震が起こってもおかしく無いと言われているので、ただ今実家の頭上を(ホンキで)断捨離中。
そんな最中にロンボク島で大地震が起こり、今なお地震が続いているので心配ですね…。
ところで先月、コムスメンが3年間通い続けたバリ島の幼稚園を無事に卒園しました。
インドネシアでは(私の知る限り)パリっとした入学式というものは無く、その分卒業式にはかなり気合いが入ります。
子育て中心生活をしている私にとっても、一人娘の卒園式というのは一大イベントであったので、前々から服を準備したり、何かと気合いを入れていました。
それなのに、直前に知らされた旦那からの一言「俺、明日からスンバ行くから…」と。
その旦那の言う何気ない”明日”というのは、私とコムスメンの一大イベント”卒園式”の日でもあり、せっかくバリに3か月もいたのだし、娘の最後のハレ舞台に位”参加しとけよ”
そもそも、日本で出稼ぎ中だった旦那がバリにいるのは、絶賛つわり中だった私に代わって、コムスメンのお世話をするというのが目的だったのに、最終日に不参加というのはかなりのマイナスポイントだと思うのだけれど…
とまぁそんな事言い始めても仕方が無いので、当日に向けてコムスメンと一通りの衣裳合わせを済ませ、今夜も深夜にどこかで酔い潰れているであろう旦那の事は放っておいて、前日は早めに寝る事にした…。
その数時間後…ガシャーーンと家の門の辺りでかなりデカイ音がし目が覚めた。
慌てて外に出ると、泥だらけの旦那が血を流しながら帰って来た。
時計を見ると深夜の1時…
おじさんの家からバイクで帰る途中に山の中のがたがた道で転んだらしく、その衝撃でブレーキが壊れたので、最後は我が家の門に軽くぶつかって停車したのだそうだ。
OLX(インドネシア版のメルカリ)に出していた旦那のバイクは既にボロボロになっていた。
酒のにおいを撒き散らしながら説明された内容は理解出来たが、人としてはもはや理解不明…
どうせなら隣のジャングルにでも突っ込んでくれれば良かったのに。
何よりも明日の本番に備えて早めに寝ていた所を起こされた事が一番腹立たしかったが、コムスメンは騒音位で起きるタイプでは無いのがまだ救いだった。
旦那は寝室に入っては来たものの、私の怒りを察知したのかそそくさとクッションを枕代わりに床で寝始めたので、私も寝直す事にした。
が、、パシャン・パシャンと部屋の中で魚が水を跳ねる様な音が聞こえた気もした。
魚は飼ってはいない。
NUSADUAビーチで作成しました。
そこから今度は妙な声でウーーウーーーとうなりだしたが、助けない事に決めていた。
その後、ウオーーーーー…という叫び声に変わったので、それに負けない位の声で、
「うるさいわーー何時や思てんねん‼」と叫び返した。
そのうちに、インドネシア語で何か訳の分からない事を喋り始めたので、ふと熱帯熱(悪性)マラリアを患った日の旦那を思い出したが、助けない事に決めていた。
また…旦那のマラリア奮闘記+ノーベル賞を受賞したマラリア漢方薬。
よく分からない独り言の締めくくりにTidak Bisa---!! と大声で叫んだ後静かになったので、私もトイレに行って寝直そうと思い、ベッドから降りたその時…
私の足が”パシャン”という音と共に水溜まりの中に浸かっていた。
ぞっとっした…小さい頃、寝たまま鼻血を出してしまい、枕一面が真っ赤に染まっていたあの時位にぞっとした。
部屋の逆コーナーで寝ていた旦那の”寝ゲ○”というやつが、何と逆コーナーの私の真横まで流れて来ているとは、、
どんだけ部屋傾いてるねん‼
とりあえずトイレを済ませてから、見たくなかった旦那を視界の隅に入れてみると、全裸で横向きになってうずくまっている旦那の口から液体がパシャン・パシャンと小さな音を立てながら流れているでは無いか‼
けれど一週間ほど前まで、吐きつわり上級者だった私はピンときていた。
胃の内容物を全て吐いただけでは部屋一面が液状化するわけが無い。
これは膀胱からの液体だと分かった瞬間に、また怒りがフツフツと込み上げてきたが、ハレ舞台の前日に余計な気力体力を消耗したく無かったので、そのまま寝る事に集中した。
が…一度正体が分かってしまうと気になって仕方が無い、相変わらずのパシャン・パシャン…。
結局、寝たのか寝てないのかよく分からないまま朝を迎えると、深夜のパシャン・パシャンは本格的な嘔吐に代わっていた。
オエェェーウエェェェーと、寝たまま1分間に5回位のペースで吐き始めた。
コムスメンはまだ何事も無かったかの様に横で寝ているので、「うるさいから吐くなら外で吐いて来てよ!!」と言ったら、私の言葉を理解出来たのか、泥の様に部屋の外へと這い出して行ったので、まだ死ぬレベルでは無いなと思った。
そしてコムスメンが起き出し、部屋の異常事態に気が付いたと同時に旦那をありえない場所で発見した。
外で吐けとは言ったけれど、家の外とまでは言っていない。
…まさか公共の場で全裸のまま吐いているのかと思い念のため確認したが、何故か下だけは長パンツに履き替えて、家の門の前で倒れていた。
その前をバイクがブーーンブーーンと何台も通り過ぎていくけれど、みんな横目で見るものの、誰一人声をかけたり助けたりはしようとしない、またしても異様な光景を見てしまった。
お節介で親切な人が多いインドネシアでは、道路で人が困っていればすぐに人だかりが出来たりする。
私もバイクでエンジンがかからなくて立ち往生しているだけでも、よほどの田舎道で無い限りは、だいたい3分以内に人が助けてくれる。
それが当たり前だと思っていたから、道路で人が倒れているというこの異常事態に誰も声をかけないというのがかなり意外だった。
だが、私も助けない事に決めていた。
とりあえず、旦那を玄関前に寝かせたまま、卒園式の準備を終えてコムスメンと出掛けようとしたその時、それまで玄関で倒れていた人とは思え無い程の勢いで旦那が飛び起きて家の中に入ってきた。
「ヤバイ、飛行機の出発まであと15分しか無いし、何で起こしてくれへんねん‼」
と我の事を棚にあげて言い始めたが、ドレスにも着替えて久々のメイクをした直後だったので、怒りを抑えて”無視”する事に決めた。
コムスメンだけが「パパ、大丈夫??」と一応気遣っていたのが唯一の救いだったと思う。
空港まで15分かかるのだから、チェックインその他を入れると確実に間に合わないのに、最後の望みをかけたのか旦那は物凄い勢いで家を飛び出していった。
前日から用意していたカバンは置き去りのまま、壊れていない方のバイクとサーフボードだけが無くなっていた。
サーフラックも無しでバイパスを空港まで暴走している旦那を想像したら本当に間抜けだなと思い、またしても結婚した事を深く反省した。
そんな一日の始まりだったけれど、コムスメンの卒園式は無事終えることが出来た。
会場は思い出のつまった校舎では無く、何の思い入れもない近場のホテルだったり…
日本の卒園式みたいに親も子も涙する場面も特に無く、終始ダンス三昧だったり…
(放課後のエキストラクラスというやつに参加させると、3時間の保育時間延長という”おいしい条件”につられ)ほぼ全てのクラスに参加していた娘は今回もやたらと出番があり、
クラスのダンス→インドダンス→バレエ→ヒップホップ…
と4ステージの合間に親たちは着替えを手伝う為、ほぼ舞台裏にいたり…
相変わらずツッコミどころ満載で、持参したハンカチも全く出番無しでしたが、皆にしばらく帰国の挨拶も出来たし、良い一日になって良かった。
やっと落ち着いた帰り道、肩の荷もおり、お腹もいっぱいで良い気分で運転していた所、ふと思い出したのが、寝室に出来た水たまり…。
再び嫌ーーな気分になって家に到着し部屋を開けると、何と綺麗に片付いていた。
結局飛行機に乗れなかった旦那が家に戻り片付けたのだそうだ。
あの後旦那は空港でサーフボードを抱えたまま意識を失ったそうで、数時間後に気が付いた時には外は真っ暗になり、新たな水溜りを空港の出入り口の床に作っていたらしい。
場所を変えてもやはり誰も助けてはくれないまま、今度こそ本気で死ぬかと思ったのだそう。
恐らく今回旦那が死にかけた原因は、素人の作ったアラック(地酒)にメチルアルコールが残っていたのでは無いかという事だった。今後は「いつも買うちゃんとした素人が作ったアラックしか飲まない」と宣言した人は、人生の最期をどんな形で迎えるのだろうか…とふと思った。
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日々のストレスと言えばコムスメンの学校の送り迎え位なもので、(←まぁこれが結構大変だったりもするのだが…)
日本で働く旦那からの仕送りに頼る今の"別居生活"にも、大いに慣れ…
一方の旦那も日本で大変&淋しい思いをしているのかと思えば、その様でも無く…
割とお互いが悠々自適な生活を送っていた所だった。
のだが、、
私が人生で一番苦しんだ日々が到来してしまった、、
まさかの、7年ブリのつわりは突然始まった。
トマトなら食べれたとか…
夕方仕事から帰るとソファーに倒れこんでいたとか…
ご飯の炊けるにおいがダメだったとか…
世の中のつわり初心者ママ達を否定するつもりは無いけれど、マジで”そんなんでつわり語るなよレベル”ですわ。
そういうのはつわり上級者の私からすると”ほんの序の口レベル”で、本気つわりの前後2週間にある”おまけちゃん”みたいなもんで、私の場合は今回も見事にまた”地獄レベル”でしたわ。
「私はつわり無かったなぁ」とか、「吐くほどじゃ無かったけど」とか、そのような体験談を語る人達はこの時ばかりは敵に分類され、「私もつわりで死にたいと思った」「10キロ痩せた」位の話にしか同調出来なかった…。
その後、間もなく学校の送り迎えどころか、ご飯の調達や起き上がる事すらも辛くなり、コムスメンは文句も言わずにロールパンばかりかじっていた。
そして結局、寝返りをしただけでも吐くレベルになり、日本で出稼ぎ中の旦那を呼ぶ事にした。
その頃…
洗濯物はまさに山と呼べる高さに達しいて、
ゴミやホコリが家中に散乱…
自分が放つ異臭を感知できる位になったというのに、どうしてもシャワーにはむかえない。
かろうじてベッドでたらみのゼリーやらカット済みマンゴーやら食べては、ゴミをそのまま枕元に置いていたせいか、遂にゴキブリが私の背中を這って通過する程の環境になってしまっていた。
現場にいた旦那とコムスメンは、その時は流石に騒いでいたのだけれど、私はそういう事にいちいち反応する余裕ももはやなく、部屋の一点をただじーーーっと見つめながら、静かに時が過ぎるのを待っていた…。
そんな中、テレビで見るゴミ屋敷なるものがふと頭をよぎった、、
そこに登場する”ゴミ屋敷の住人”達…
恐らく彼らは散らかっているのが平気な訳じゃなくて、何とかしたいと思いながらも目の前の山に立ち向かう気力が無いのだ。
そして、誰かにヘルプサインを出す気力すらも、残ってはいないのだろう。
色々な状況やトラウマが引き金となり、無気力による悪循環に陥っているのだと思う…。
仕事でゴミ屋敷を掃除したりもする旦那、彼の登場でこの汚部屋が片付くことを期待していた。
しかしあろうことか、何と旦那は我が家のゴミの山と洗濯物の山の間の谷間で、平然と寝転びながらYou Tubeを見続けていた。
彼は、このゴミの山を「まだ山では無い」と言い、
汚くなった部屋を「どこが汚いのか分からない」と言い、
私の放つ異臭にもどうやら気がついていない様子…
そういえば、7年前のつわりの時には、悪阻による入院生活の真っ最中に滞在ビザが切れ日本に脱出していたし、結婚後もここまで私が掃除を放棄した事は初めてだっから、旦那とこんなにも感覚が違うという事にさえ気付いていなかった。
ただ、この頃つわりのピークを迎えていた私は全ての事に対して無気力だったので、旦那に対して”怒り”という感情すらも湧いてはこなかった。
異臭といえば、私の嗅覚は全ての物から地獄の匂いを感じ始めていて、においで選んだシャンプーも、においで選んだ洗剤も、臭くなった枕も全てを封印したのだけれど、確か7年前は10m先から犬が近付いて来るのも分かる程に、今回以上のひどい”においつわり”だった事を思い出した。
旦那が到着するまでの間、コムスメンの送り迎えを頼んだ”おじさん”が朝家にお迎えに来るたびに酷く吐いてしまい、何度も病院に連れて行かれそうになった。
だが、痛い点滴の為に1jt(約一万円)も払ってたまるかと、意地でも断り続ける事に成功した。
そんな感じで、”あらゆるにおい”にやられていた最中、旦那から私への日本土産は、何故か”におい”を代表する香水だった…。
よりによって香水??と思ったけれど、口には出さないでいた。
ところで、生まれて初めて男性からコスメ貰ったかもしれない…。
これを買った時、果たして私用だったのかどうかは謎ですけどね、まぁ良いけども…。
女の子へのバリ土産にコスメを選ぶ男子は遊び人なのか!! BALI
で、旦那到着から一週間後にバリに遊びにやって来た義理の妹、
オーストラリアに嫁いだ彼女からのお土産は、何とBODY SHOPのギフトセットでした。
何でこのタイミングで…??。
さすがは兄弟だなと思いましたが、どちらのお土産にもその時点で出せる最高の作り笑顔でお礼を言いました。
その数週間後…つわりは落ち着くどころか、何と吐血に至った。
今回ばかりは、旦那が来てくれて良かったなと思った。
血が混ざっている感じではなく、まさに血がドロッと流れて、鉄の味を感じたままベッドに倒れこんだ。
その後、吐血で思いつくあらゆる病気が頭をよぎり、恐怖を感じ始め、だんだんと手足がしびれ始めた。
この感じ…数年前の思い出が蘇った。
スンバ島に住んでいた時、原因不明の腹痛で倒れた時にマラリアだと宣告されたあの時も、こんな感じで手足がしびれたのだ。
当時、マラリアに対して無知であるが故に極度の恐怖を感じていた私…。
その病に自分がかかってしまったと思い込んだことで混乱し→過呼吸気味になり→手足がしびれて筋肉が固まり始めたあの症状は、マラリアの始まりなんかではなく、恐怖から来るパニック発作だったという事が後から分かった。
だから、今回は手足が痺れつつも冷静になり、吸う呼吸よりも吐く呼吸を多くする事で次第に落ち着いた。
スンバ島にもブラックマジック?!【Part1】恐怖のローカル病院 @スンバ島
次の日…吐血はおそらく吐き過ぎによる食道炎だと診断された。
しかも割とさらっと言われたので、つわり大国インドネシアではよくある事なんだろうと思う。
今回は7年前のつわり地獄よりはだいぶんマシだったと思うし、点滴も3回のみで済んだのだけれど、
体重は5kgほど落ちていた。
まだ時々嘔吐は続くものの、ようやく食事をとれ始めた今日この頃、やっとBODY SHOPの出番もやって来た。
そして旦那をバリに呼び戻してから、既に3か月が経過していた…。
そんな旦那は「早く日本に帰りたい」と日々言い続けている。
出番は”子供の送り迎えのみ”という南国ゆるゆる生活に日々にうんざりしているのだそうだ。
パリッとした日本の環境の中で、家を壊したり、ゴミ屋敷のゴミを淡々と片付けたりしながら、いい加減に貯金をしたいのだそうだ。
それだったら別にゴミと洗濯物の谷間でだらだらと生活しなくても、シャシャっと家の大掃除なんかをしてくれても良いのに…。
今回の旦那の登場は、我が家のゴミの山を撤去するまでには至らなかったけれど、何かと活躍してくれたと思う。
私の3ヶ月以上に続いた悪夢の日々も終盤、今は”メルカリ”でチャチャっとDiorの香水の価格相場を調べたりも出来る位に回復しています。
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それ位、実感が無いというか…影響が無いというか…バリ島南部はいつもと変わらない生活をしています。
噴火直後に私の住んでいるジンバランエリアには少し降灰があったものの、いつもホコリで汚い車が更に汚くなっていた程度でした。
ですが、標高のせいなのか、火山からは更に離れたウルワツエリアの方が降灰量が多かった気がします。
ようやく噴煙の落ち着いた日のSNSには、バリ島各地から撮影されたアグン山の写真が並びましたが、私自身もこの日初めて近所の丘からもアグン山がはっきりと見えるという事を知りました。
それにしても、こんなにも大きな山の存在にずっと気がつかずに生活していたなんて…自分の鈍感さ具合に呆れます…。
そんな鈍感な私が、ニュースでしか見ない”アグン山の噴火”をリアルに感じたのは”海”でした。
人がいない…正確にはいるけどめっちゃ少ない。
朝からビーチで本気で寝ていた人達も居ないし、
朝からワルンで本気でビールを飲んでいた人達も居ないし、
今日が人生初のサーフィンなのにも関わらず、やってきた大波を目の前にGo Go!!とインストラクターに叫ばれ、何の疑いもなく突っ込んで行ってしまったツワモノ達も……、
私もこんな感じでサーフィンを始めていたら、きっとすぐに辞めていたんだろうなと…波越しのお気の毒な光景を目の当たりにします。
…と、話がそれたけれど、これまでにぎやかだったバランガンビーチの大半を埋めていたのは”観光客”だったという事にも気が付きました。
いつもなら、コムスメンを学校に送った後に1時間半程サーフィンをして帰るのだけれど、そろそろ疲れたなと思って時計を見ても、まだたったの30分しか経っていなかったりして、人が少ない分絶え間なく波が回ってくる感じです。
そしてそんな状況を予測したのか、サーファーの友人から「不謹慎だけど今バリに行きたいわ」とのメールが…。
噴火や空港閉鎖のニュースを聞いて、今なら道路や海が空いているのでは無いかと予測するその辺りがツワモノですね!!
きっと初心者の時に大波に訳も分からず突っ込んでしまったとしても、続ける人は続けるのでしょう。
そう思うと、大波のフェイスへ向かって初心者サーファーを容赦なくプッシュしてしている”彼らへの憤り”みたいなやつが少し緩和された。
いまに噴火すると言われてから数ヶ月後、さらには警戒レベルが一段階下がってからの噴火だったのですが、
(この警戒レベルの下がる直前に専門家の人も火口壁が崩れ落ちたので噴火目前と警告していた)
今現在は噴火が一旦落ち着いて、空港も稼動しているそうです。
ですがこのまま収束してくれるのか、さらにパワーを溜め込んで爆発するのか、それは専門家にも分からないのだそうです。
アグン山が本気で噴火すると、世界の気温が下がる程の威力を持っている火山だそうなので、これ以上は本気出さないで欲しいです。
観光業で成り立っているバリ島に観光客が戻ってくる事を願うしか無いです…。
数か月前に子連れでメキシカンのお店Cacho's Mexicanに行ったら、アーティスト感満載のオーナーのおっちゃんが待ち時間に遊べるようにと色鉛筆と”自作の塗り絵”を持って来てくれたのですが、すっかりはまって食後もしばらく帰れなかった。
↓コムスメン 作
↓私もはまること30分
ところでおっちゃん、確かに普通の人には見えなかったけれど、予知能力でも持ってるんでしょうか??
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そしてこの氷河期の間は撮っている写真が海色に染まるのですが(サーフィンと海水浴はタダなので…)最近の私の写真は青い…”ブルー”です。
ところで今回は片道チケットでインドネシアに帰省し、スンバの実家に帰ったりバリでサーフィンしたりしていた旦那さん…
そのうちサーフィンもしなくなったのでそろそろ出稼ぎに戻るのではないかと予想していた矢先、、、
「俺ちょっとフローレスの親戚のトコに行ってきて良いかな?!」
とか言い出したので、ついに溜め込んでいた一言が私の口を破って出てきそうになりましたが、
「そんなお金どこにあるんやーーーっ」とも、
「フローレスの親戚なんてもう20年近くも会って無くて顔も覚えてへんやろー!!」とも言いませんでした。
私が日本に帰省したい時にそれを言われたら困るので…。
その数日後、たまたまテーブルに置いてあったATMの私の利用明細を見た挙げ句、
「こんなお金のない家に長くいたく無いわっ」
と自ら言い捨て、日本帰国の為のチケットを探し始めました。
遅かったけれど気がついてくれてどうもありがとう!!
私から「そろそろ日本へ帰って」とも言い辛いし、でも日本でハードワークをこなしている旦那に向かって「お金がないのよ」というセリフもなるべく言いたくなかったのよね…。
でもでも、察して欲しくてわざとATMの利用明細を机に置いたりしたんじゃ無いのよ、たまたまなのよーホントに。
「旦那(日本へ)帰ったの?! ホッとするねー」と、声をかけてくれる近い友人も…
「帰っちゃったの?淋しいね…一人で大変だね…」と、若干距離感のある友人も…
ブログを訪問して下さってありがとうございます。
という訳で前置きが長くなりましたが、旦那が帰国後のつい先日、バリ島在住で子供が3人もいる親戚のおじさんから「僕達日曜日に結婚式するから絶対に来てね、今家の前なんだけど出かけてる?」と電話があった。
おじさんはスンバ人で、奥さんはジャワ人、奥さんは”スンバに住めない嫁同盟”の一人で、割と近所に暮らしている。
またしてもおじさん…”訪問→電話”の順番を逆にしてくれれば良いのにな、と毎度の事ながら思うのだけれど、ご丁寧に家まで結婚式の招待状を持って来てくれたそうだった。
え……三人も子供がいるのに「誰とまた結婚するの?」と聞いたら、笑いながら
「今の奥さんと結婚するんだよ!!まだ結婚式していなかったから。」と言われて、驚きつつもホッとした。
そこの家庭は結婚当初にお金が無く結婚式が出来なかったそうで、前々からいつか結婚式をしたいと思っていたそうだった。
とは言っても、結婚後14年目の結婚式ってどんな感じなんだろう?!と、想像してみた。
いつもなら招かれたローカルの行事にはなるべく参加しない方向へと持って行くのだけれど…今回はちょっと楽しみだった。
迎えた当日、挙式の時間帯はコムスメンのお友達のバースデイパーティーがあったので(そちらのほうが豪華だったけれど…)
その後にスンバのおじさんとスンバに住めない嫁同盟のおばさんのパーティー会場に到着した。
GoogleMapにも載っていないアスファルトの無い道を進むと、かなり手前から路上駐車の車とバイクであふれかえっていた。
因みにおじさんの自宅は手作りなので、土地だけをレンタルし、住みながらコンクリートやタイル、屋根などの材料を購入しては
バージョンアップしつつ暮らしていくというスタイルだ。
開始から1時間ほど遅れの到着だったので、既に前半分はダンドゥットという、”演歌調でテンポはノリノリなインドネシアの曲”(自分で言うのもなんだけど、簡潔でかなり分かりやすい説明)でダンスパーティーが始まっていた。
過去にスンバ島での結婚式に(ファミリーだと名乗る人に)招待されたとき、参列者が800人もいたのにも関わらず、新婦以上に注目されてしまったという苦い経験があるので、なるべく地味な服を着て目立たない様にパーティーの中にしのび入ったつもりだったけれど、即座に新郎新婦に発見された。
ただちに親族席みたいな所に座らされ、人見知りのコムスメンと2人、壇上で盛られたご飯を食べる事になってしまったが、そんな事位で食事が進まない程私達の心臓はヤワでは無くなってしまっている。
ノリノリな曲と共にダンスが白熱して、バイクの後ろにまたがるのもやっとなおばちゃんまでもが腰を入れて踊り始めた。
1枚目 間違って新郎新婦の間に入ってしまった…しかも私が新婦っぽい。
2枚目 あらためて”新郎新婦”
親族席から撮ったムービーをインスタの”ストーリー”(24時間で消えるタイムライン)に投稿してみると、普段はコメントの来ないインドネシア人の友人達がコメントをくれた。
「インドネシアのダンドゥットだよ。」とか…
知ってる!! まだ踊れないけど…私がこのノリの中にいる事が”意外”だと思われたみたいだった。
私は過去に結婚式の撮影をしていたせいか、どうしても”非日常的な部分”とか”切り取った綺麗な部分”を残してしまいがちだけれど、私の日常生活はむしろダンドゥット寄りで、ジャズが流れているようなオシャレなお店にはたまにしか行かない。
日常をアップとか言いながら、全く日常を残せていなかった事に気が付いたので、これからは意識して本当の日常を切り取って行きたいと思いますので、お腹の弱い方は正露丸を用意しつつ、Instagramをフォローして頂けると嬉しいです↓↓
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という訳で最近はめっきりインスタ中心になっていたのですが、友人からブログに関してこんな事を言われたのを思い出し、ブログを再開してみようと思います。
私のブログを見て「インドネシア人との離婚を思いとどまった人がいる」と…!!
「マジで?!離婚を決心したんじゃ無くて思いとどまったの?!」
どの記事かは不明なんですが、”愚痴のはけ口”みたいなブログが人の心を動かす事もあるのか…と改めて情報発信のやりがいを感じました。
確かに、たまに「バリ+離婚」あたりの検索ワードを入力すると自分のブログが出てきてゲンナリしますわ…たまにね…。
という事で、ブログを書くモチベーションも上がった所で久々のタイトルがこんなので申し訳ないですが。
私、病み上がりです…。
ここ一年弱、日本で出稼ぎをしている旦那が現在帰国中なんですけども、これ毎度の事で覚悟はしてたんですけども…
久々の高熱+頭痛+嘔吐で寝込んでいました。
因みに病気がちな体質では決してなく、前回の体調不良は私達が日本に一時帰国した6月某日、成田空港で旦那と再会した直後から喉の痛みが始まり、コムスメンが行きたがっていたディズニーランドには行けず、その代わりが蒜山のジョイフルパークになったり…。
さらにさかのぼるその前の体調不良の時もやはり、旦那が日本から休暇で帰って来ていた年末年始の時でした。
その前も…実はその前も…例外ほぼ無しです。
もう旦那もさすがにその件に気付いていて、
「何で俺が帰って来たら毎回寝込むねん!!」
とちょっと不機嫌そうに言われましたが…
「きっと旦那が帰って来てホッとするからじゃない?」
と、一応苦しまぎれの言い訳をしていますが、こういうやりとりをかれこれ7〜8回位再会の度に繰り返しています。
恐る恐るドクターに聞いてみても笑いながら「生活リズムが変わるからじゃない??」と言われたり、
友達には「やっぱりストレスなんじゃない」と言われたけれど、
(Googleドクターによるとこういう人結構多いらしいですが、、)
はっきりとした原因はまだ不明、ただ分かっているのは旦那に会うと必ず体調不良になるという事です。
今後もこの関係が続く限り、”私の体調不良の法則”の原因についての究明を進めたいと思っています。
インスタでは紹介済みなんですが、
病み上がりの景気づけに、最近はまっている”ふわふわカキ氷”を食べに行ってきました。
盛り方も可愛いのです♪♪
まぁ食べ進めていくと途中から工事現場のようになりますが…。
サイズも大きくてGiveUp!!
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毎日のお弁当 難易度…★☆☆☆☆
これが割と苦手な分野で、しかも放課後クラスのある日は1日に2回必要になります。
(この放課後クラスに入ると、通常11時半までの所、15時まで延長で子供を預かってもらえるので、ほぼ全てのクラスに参加させ中。)
しかも金曜日のヘルシーフライデーに関してはおかず一品が指定され、辞書でその単語を調べる所から始まったりもしますし、近所で見つからずに探し回る羽目になったりもします。(しかもだいたい子供は食べないモノ)
私が学生の時は”キャラ弁”こそは無かったものの、こだわり性な母がキャラ弁並みの”スゴ弁”を作ってくれていたので見習いたいものですが、なかなか出来ずに弁当箱に買って来たパンを袋ごと入れて終わったりする日もあります。
でも、機会があってよその子のお弁当を覗いた所…クラッカーにバナナ一本とか、全面ナシゴレンとか…バリ島の弁当箱なんて皆そんなもんでしたょ…。
ですが最近になってから、クラスのママさんがお弁当代行屋さんを始め、かなり負担が軽減されているので、難易度は★1つ。
育てる系 難易度…★★☆☆☆
先月のアースデイとかいう日には、
「この種を発芽させて、月末までの持って来てね。育てる容器にはペットボトル等のリサイクル製品を使ってね。」
という宿題が出されました。
これ(タイヤ)やりたかったけど…
ペットボトルに埋めた種から、次の日には芽が出てグングンと成長したので、よっしゃーーーっと思っていましたが、他の子(というかママ達)の育てた芽の方が数倍大きくて完敗でした。
でも楽しかったので難易度は★2つ。
左から、うちの子→うちの子(成長途中)→他の子のん
算数の宿題 難易度…★★★☆☆
小学校1年生ならともかく、TKクチル(日本だと年中さん)で、これは難問すぎるのでは…?!
足し算全問不正解!!!!
しかもこれはコムスメンの学校特有のカリキュラムではなく、インドネシアの文科省的な所(?!)から求められるカリキュラムに準じているのだそうで、それをこなさないとインドネシア側の卒業証明書の発効がどーのこーのと…細かい事はよく分からないけれど幼稚園にしてレベル高すぎ!!
それなのに、この国に計算が出来ない人が多すぎるのは何故なんでしょう…。
近所のお店でrp.7000の支払いだったとして、良かれと思って(おつりがrp.5000になるように)rp.12000を出したりなんかすると、高確率で混乱されますのでご注意を。(例外も15%位はいますけど…。)
突然言い渡されるドレスコード 難易度…★★★★☆
インドネシアの学校って曜日によって制服が変わったりするのですが(コムスメンの学校は2種類しかない)何かのイベントごとにまた別の服を調達しなければいけなかったりします。
クリスマスは”緑か赤”の服、
チャイニーズニューイヤーは”全身赤”で、
さすがに2年目ともなると、インドネシアの国旗の色”上が赤で下が白”とか、バリ島民族衣装のクバヤ位はささっと用意出来る位になりますが、そのドレスコードが親にまで言い渡される事もたまにあります。
今回は……”ジャングルテーマ”
「木の色で茶色とか緑とか、もしくはアニマルとか、無いわーー」とぼやいていると、「今はいてる…」と薄ピンクのヒョウ柄パンツ(自分で言うのも何ですが決して下品な感じでは無いです)を履いていた自分がいました…。
雨季なのに、クマと子ともでフォトツアー 難易度…★★★★★
”順番に回ってくるクマのぬいぐるみと一緒に写真を撮り、一冊のストーリーを仕上げる”という宿題が、まさかの雨季に回ってきた。
しかも期限は1人4日という納期にも関わらず、皆きちんと仕上げてくる…。
コムスメンのクラスには、ホテルとかレストラン、お洒落な自宅で撮影した感じの写真が並んでいたけれど、ウチは”いつもの海”で…半年振りに恐る恐る出してきた一眼のシャッターが一応下りた事にホッとした。。。
コムスメンが自主的に”思い出のクマさんの絵”を描き始めたので、何とかストーリーはまとまりました。
こんな感じで突然難題が出されたりもするバリ島の学校に通い始め、親達は想像以上に教育熱心な事が分かったり、私もついていくのに必死だったりしますが、ふとクラスの中でmoanaの新曲を娘が歌い始めた時、担任の先生はすかさずムービーを撮り始めたんだよと娘が言っていました。
わが子が初めて歩き出した日、携帯のムービーボタンを慌てて押したあの日みたいに、先生が自分達の子供を見てくれているんだと思うと嬉しくなりました。
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街中で、時々見かける外国人の漢字Tシャツや漢字ステッカーありますよね…
高確率で漢字が間違ってたり、笑える内容だったりするんですけど、
今日見かけた日本語の特大ステッカーは南無阿弥陀仏でした。
仏教徒なんでしょうか、それならそれでアリなんかも…
あと、バリ島南部でたまに見かけるリアガラス全面の「真面目」ステッカー!!
あれも見るたびにドライバーの顔を覗きたい衝動にかられるんですが、まだ実現はしていません。
どうしよう、めっちゃイカツイ感じの人が乗ってたら…想像は膨らむばかり。
ところでタイトルの件ですが、つい最近コムスメンがやらかしました…。
私が庭の落ち葉を燃やしていた隙に、あまりにも静かだったので「何してるん?」と私が聞くと、
「かみきってる」と答えたんですが、
まさか”髪”の方だったとは!! しかも前髪ざっくり…
あぁ日本語って難しい。
放課後の工作クラスに通い続けているお陰で、”紙とはさみと糊”さえあれば一時間位は静かに遊んでくれる娘、
なのでてっきりいつも通り紙を切っているのかと。
しかも数分後に鏡を見て我に返ったのか、「前の髪に戻したい」と泣き始めたけど、
それは出来ません、時間は元に戻せないのだよっ。
Skypeで母が初見したときに経過を話したら、一人の時にハサミを持たせるなんて「アブナイ」と言われ…
LINEで旦那が初見したときも、何で目を離すのだ「アブナイ」と怒られ…
でも聞くところによると、5歳児って自分の髪の毛切った経験アリな子多いみたいです。
まぁ娘自身これに懲りてもうしないと思います。
カット事件の直後はハンバーガーにナイフが刺さって登場したレベルにショックでしたが、割と見慣れて来ました。
ところでハンバーガーにナイフが刺さって出てくるのは、海外では割と普通なんでしょうか?
インスタの#タグ'(burger/cheeseburger)検索しましたが、あまり見あたりませんでした。
詳しい方いたら教えて下さい。
ジャンクフードの”罪悪感”を半減させてくれる大盛りのレタスも、全部取り払う…
早く前髪伸びますように…。
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眠れない夜にふとあなた達の事を思い出しました。
そう私も同じ思いをしています、辛かった…。
さっきのクラゲの大量発生で…痛いし、かゆいしで、
しかもこの日に限って波は良く、なかなか上がれなかった人もたくさんいた事と思います。
でもね、それ全部ただの”自業自得”というやつですね…。
この日のクラゲの大量発生、実は前日から”やつら”は押し寄せていたらしく、”知る人ぞ知る”という感じだったんだそうです。
コムスメンを学校に送ってからの自由な3時間、海に着くと丘の下では久々に良い感じな波が割れていました。
にも関わらずあまりにも人が少ないので、ワルン(海の家)のお兄ちゃんに聞くと…
私「今日人が少ないのは何故だろう??」
そしたら兄ちゃん「昨日は波大きかったけど、もう下がったからじゃ無い?」といつもの適当な返事。
思えばこの時に何かがおかしいと気付けたハズだった。
それは真相判明の10分前の事でした。
そして波打ち際をトコトコ一人歩いてエントリーの場所へ着くと、今ちょうどサーフィンを終えたばかりの人と、これから入る人が立ち話をしていて、声が波の音に消されながらもわずかに聞こえてきました。
「あの辺りで、でかいのを顔に食らったんだよ。だからお前も気をつけてっ」と…それを今から入る人は深刻そうな顔で聞いていたのです。
てっきり、たまにやってくる大きめの波の事だと思ったのは、真相判明の5分前でした。
海に足をつけた時、海水全体のぬるっと感を感じた時、まだ引き返せたはずでした…、
バチバチと不快なクラゲの攻撃を受け続け、なぜ上がらなかったのでしょうか…それでも皆波を待ち続けていました…、
そんな私も、歳のせいか入るときから大波だと気が引けるのに、入っている途中からサイズが上がり始めるとやっぱりテンションが上がるのは何故なんでしょう。
結局この日は2時間も海水に浸かり、たかが2本の波に乗る為に2晩も眠れない夜が来るなんて事を、ちゃんと想像出来ませんでしたね私達…。
ただ幸運な事に、私はこの日に限って虫の知らせか何かで、いつもは着ない上下長袖のラッシュガードを着ていたのです。
このクラゲ攻撃を沖合いで目の当たりにした時、裸の男達を見ながら私は勝ち誇った気持ちになりました。
それでも手首より先と、足首より下はヤツラの攻撃対象となりましたが、あの場に居た裸サーファーズは全身かゆくて眠れない地獄を味わったのでしょう。可愛そうに…笑
海から上がってワルンの兄ちゃんには「ごめん、くらげが多いってさっき言うのを忘れていた!!」と事後報告されましたが…
「お酢が効くよっ」て教えて貰いましたが…そんなん、
「知っとるわい!!」
でも、試しました。
ナチュラルなものから…。
左から順に…出番少なめな洋風の”お酢”
腹痛と虫刺されとその他もろもろに効く”ミニャック カユプティ”(白樺オイル)
一家に一本、飲んでも平気なバリの万能薬”ボカシオイル”
ケミカルまで…。
右手・左手・右足・左足のパーツごとに試せばどれが一番よく効いたか実験出来たのですが、あまりの痒さと眠たさで、効きそうな順番にとにかく塗りまくったので、結局の所何が一番効いたのかは分かりませんでした…。
次回刺された時はパーツごとに薬を試して、また検証したいと思いますのでお待ちください。
因みに、「ジェリーフィッシュってインドネシア語で何て言うの」って海中で聞かれたんですが、クラゲを避けるのに必死だったし色々と説明する気にもなれず、インドネシア人っぽく「ジェリーフィシュー」と(←この感じ分かります?)言っておきましたが、正解はウブルウブルだったみたいです。
この前出会った方がブログを読んで下さってたそうで、この記事で夜中に笑ったよって言って貰ったんですが、何を書いたかよく覚えていなかったので探してみました。
タイムリーにもオーガニックなコスメネタだったんですが、確かにちょっと自分でも笑いました…。
どうもありがとうございました。
]]>私たちの状況は相変わらずなままで、旦那は日本で出稼ぎ中、私とコムスメンは乾季のせいか、旦那が不在だからか体調も絶好調です。
そんな平和な日々でしたがついこの前、旦那の不在中に旦那の母”義理ママ”が一人でバリの我が家にやって来ました…また。
このネタはさすがにもうくどいので…さらっと流します。
旦那ファミリーにまた"襲撃"されて泣きそうです、しかも旦那の不在中。BALI
今回”到着の報告”を受けたのは、なんと当日の数時間前でした。
出発直前にスンバの空港から電話してきた義理ママは、
「12:15分に飛ぶから13:00にバリに着くから、お迎えよろしくねっ!!」
て…45分のフライトなので、計算的には合っていました。
いつも通り突然の報告でしたが、もう慣れてるので驚きもせずに、Uber(アプリで呼べる個人タクシー)をさくっと手配したい所でしたが、学校も休暇中だったのでお迎えに行く事に。
30分遅れでお迎えに行ったにも関わらず、義理ママは出て来ないし電話も繋がらず…
スンバの実家から空港まで送った義理の妹に電話したもののそちらも繋がらず…
義理ママ到着後に、皆で”遅めのランチ”でもしようかな、という気の効いた私の計画を諦め、とりあえず私とコムスメンだけRoti0(甘々パン)でも食べようと思ったのだけれど、何と…”財布を家に忘れてきた”事に気がついた。
それと同時に、大好物を目前でオアズケを食らったコムスメンはごね始め、私も空腹が限界近くだったので、とりあえず財布を取りに家まで戻ろうと思ったのだけれど、駐車料金のRp.4000(約40円)すらも持っていないので、パーキングから出して貰えない。
「財布忘れて取りに戻るだけだから後で払うから…」
「身分証明ここに預けるから…」
「子供お腹空かして泣いてるねん…」(嘘やけど)
色々言い訳したものの、珍しくも融通効かずで「無理」の一点張りでした。
まぁ、一人を許してしまうとキリが無いっていうのも分かるけれど、
インドネシアって子連れは無敵じゃ無かったっけ??
「別の係員を呼んでから書類を作成してもらわないと…」と言われたものの、パーキングの出口には次から次へと車が列を作り、私の件なんて置き去りな感じでした。
このくそエリート空港職員が、ストレス溜まって権力を武器に庶民をいじめやがって。
…と勝手な妄想が膨らみ私もイライラし始める、というか私はそもそも空腹と待ちぼうけでイライラしていたのだ。
そこで”ここから出るためのよく分からない書類”を作るよりはRp.4000の駐車料金を探した方がてっとり早いのではないかと思いつき、仕方なく車を出口付近に置いたまま、
●駐車場にRp.4000分のコインでも落ちていないか探してみた…が、無い。
いやコインが4枚も落ちている確立はこの国では限りなく低いだろうと思い直ちにやめました。
次に思い立ったのが、
●富裕層っぽい人にRp.4000借りる、というか貰う。
空港だし、ジャカルタからの旅行客がたくさんいるだろうと思いましたが、バイクのPに隣接する北側出口には、富裕層っぽい人は現れません…というかそれを見抜く力も無い。
周りにいたのは、作業服の工事の人と、バスの運転手数名のみ。
よし、これで行こう。
●あの人達の誰かに、携帯のプルサ(プリペイドチャージ)を売る。
私の携帯はアプリを入れているので、幸いオンラインでプルサを売る事が出来るのでした。
「Rp.10.000のプルサ買いません?」→怪しまれた。
でも私は腹が減っているので負けない。今度は隣の人達に、
「誰かRp.10.000のプルサ買いません?」→また怪しまれたが、事情を話すと前に話しかけていた人達が来てくれて、ポケットから小銭を出してくれた。
3人の(恐らく)バスの運転手がくれた小銭はRp.18.000にもなったので、Rp.4000だけを残してお金を返そうと思ったのですが、
「いいよ、道路で何かあるかもしれないし、持っとき!!」
「子供いるし、何か買ってあげたら♪」
と言われありがたく受け取り、お礼を言って車に乗り直し出口へ進みました。
ついさっきいがみあった空港職員野郎にどや顔でRp.4000を手渡すと、
「お金あるやんけ!!(インドネシア語で)」と言われたので、
「あそこに座ってる人達に貰ったんや!!(インドネシア語で)」と言うと、
「シリウス??」と驚いた顔をしていました。
「そう、あの人達ね優しかったわーー」と最後に嫌味を言って、無事にゲートを通過出来ました。
思えば、見ず知らずの人から直接お金を貰ったのは生まれて初めてでした。
帰り道の道中で、さっきの出来事を思い出しながら、じーーんとなりました。
空港職員へのイライラもほとんど忘れていました。
ほんの数分間の出来事でしたが、私はこの日の事を忘れないと思います。
家に着いて、忘れていた財布を持って家の近所で遅めのランチをしていると、ようやく義理ママから電話がきたので「あーでこーで大変で…」と話すと、とりあえずタクシーで家まで行くわって…別にお迎えにこだわっていた訳では無かったんですね。
何年経ってもこういう感覚はまだよく分からない…。
いつもは集団(私からすれば)でやって来るのだけれど、今回は友達と都合が合わなかったとかで一人でやって来て、家中の掃除と庭の葉っぱ掃除や家の周りの草むしりまでしてくれ、お土産(バナナと鶏の丸焼き)もあったしご飯も毎回作ってくれたので、思いのほか平和でした。
ガスコンロのつけ方をまた義理ママに教えたりしながら、そういえばスンバにいた時は火起こしの方法を教えて貰ったなぁとか、、色々と思い出しました。
それから2泊後のジャカルタへ飛び立つ日の早朝5時、ためらいも無く起こされたのでここぞとばかりにUberを呼ぶと「こんな朝からちゃんと来るのねーっ」と驚いていました。
という事で、次回からはこのパターンでいかせて頂こうと思う。
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タイトルの通り、今週の日曜日(3/12)サヌールバイパス沿いにあるKANDA RESTOという鳥とも遊べるカフェレストランで、ピアノ・歌・楽器etcの発表会をする事になりました。
時間は14時から16時までの予定で、出演者は園児から保護者までです。
因みに保護者には私も含まれています…(笑)
しかもしつこく3回ほど、ピアノ伴奏とサックスで登場させて頂きます(焦)
大丈夫なのか私、それとピアノ歴2ヶ月のコムスメン、大丈夫なのか不安要素満載です。
久々の舞台だし1年前に始めたサックスに関しては今回初舞台なのでかなり緊張する予定ですが、お時間のある方は是非、子供達&親達の生演奏を聴きにお越し下さいね。
出演者のほとんどはピアノ教室に通っているお子さん達です。
久々のPhotoShopで作業、色々候補があったんですが、真ん中のツリーのフライヤーに決定しました。
確か数年前まではクリスマスを祝っていたのはキリスト教徒だけだった様な気がしますが、最近はそれ以外の宗教のローカル達もクリスマスにはクリスマスの挨拶をしていたり…、ホームパーティーしてみたり…少し変化して来ましたね。
欧米人の多いバリ島が特別なのかと思っていましたが、テレビの情報によるとジャワ島の都市部なんかでも街中はクリスマスのデコレーションがしてあったりクリスマスモードだったみたいです。
まぁ、ホワイトクリスマスになる事も永遠に無いだろうし、雨季真っ只中で蒸し暑いので雰囲気はイマイチですが、子供のころから何故かウキウキするこのイベントを少し味わえて嬉しいです。
ところでつい最近、近所の歯医者で歯のクリーニングをして来ました。
そういう用事はやっぱり日本でするのが一番だろうと思っていたので、今までは帰国した時にまとめてしていたんですが、たまたま家の近くに近代的っぽいデンタルクリニックが出来たので、ヒヤカシガテラに行ってみたら意外と当たりでした。
日本で通っていた歯医者さんの場合、クリーニングの前に歯茎の状態チェックをされるんですけど、ぶっとい針みたいなヤツでブスブスと歯周ポケットの深さを測られ、それが痛いの何のって…!!!
しかも歯茎が腫れて出血し、もう帰りたい位の気持ちになっている所でクリーニングが開始され、けっこう際どい深さまでガリガリされるので、もうあれは拷問ですわ…。
一方のバリの歯のクリーニングはそんな痛いところまでしないだろう(ローカルはあんな痛みに耐えられないだろう)と思ってはいたけれど、予想通りにほとんど痛みはなかった。
痛くなかった割には歯石もちゃんと取れた(ような気がする)し、色も多少は白くなった。
料金はRp350.000(約3500円)と、日本と変わらずでお得感はそんなに無いが、痛くないし予約もいらなかったのでまた行こうと思う。
TAMANGRIYA DENTES
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http://www.klinikgigidentes.com/
タピオカドリンクのタピオカ歯にはさんで「虫歯〜」とかやってた。
なかなかセンスあるやん♪♪…とコムスメンの成長を感じました。
そんなに痛くなかった歯のクリーニングサービスと話はうって変わりますが、もう一つのお勧めサービスはかなり痛ーーい”永久脱毛”です。
昔から海に入っていたので、日本でも何度か永久脱毛には通っていたのですが、日本では”眠れる位の光レベル”でしか施術を受けられず、何度も通った割には結局残ってしまったり、その後そのまま放置して数年が過ぎていました。
最近はお洒落に敏感な(かつお金に余裕のある)ローカル女子も脱毛に通っていると聞き、日本のヘアメイクさんも通っていると言うクタのサロンに行ってみた。
そしたら……めちゃめちゃ痛かった!!!
日本では考えられない位の光ボリュームだったのでしょうか、詳しいことは分かりませんが、飛び上がる位に痛かったのですが、今回初めて手をつけたエリアも含めて一回で気にならない位に…抜けてます!!!
ある程度は残したい部分もあったのでその事をドクターに伝えた所、通常1回目と2回目はフル、3回目位から徐々にエリア外のみにしましょう…と言われたのでそれに従ったのですが、一ヶ月経った今も生えてくる様子は無いまま…。
まぁ無ければ無いで良いんですが、バリの脱毛レベル”痛いわ生えてこないわ”でハンパ無い。
日本みたいに何度も行かなくても良さそうなので、痛みに耐えられる自信のある方、もしくはドMの方はバリでの脱毛をお勧めしますよ…、ただし部位によっては抜けすぎ注意!!
VのみはRp250.000、ブラジリアンならRp.500.000でした。
関連販売なども一切無く、お得感あります。
KUTA RADIANCEのヘアリムーバル(脱毛)
↓コチラ↓
それでは、締めくくりが毛の話になってしまいましたが、
皆様よいお年をお迎え下さいね。
2017年もどうぞよろしくお願い致します。
]]>衝撃を感じてバックミラーを見た時には、2ケツの後ろに乗っていたであろう人が、道路の真ん中に転がっていました…。
悪夢は蘇りました。↓↓は2年前の今頃…
バイパスで何と、ひき逃げされました!! BALI+SUMBA
これは大事かもしれない…相手は確実に怪我はしているだろうと思い、慌てて車から降り、覚悟をして後部へまわった!!
すると濃い顔の運転手の男性は私の顔を見るなり慌ててエンジンをかけ、さっき転がったはずの後部の濃い顔の男性も元のポジションによじ登り、何事も無かったかの様に走り去って行きました。
確かに目は合ったのに!!
ものの数秒間の出来事で唖然としました。
意図を分かってくれたコムスメン。
こけた男性を手助けした近くにいたおっちゃんも、驚きのあまり声も出せずに棒立ちでした。
もし私がこのバイクのどちらかだったとしたら、ショックで道路に泣き崩れていたと思います。
というか、インドネシアの人達って事故ると男性でも道路で泣き崩れてたりしませんか…そんなイメージなんですが。
きっとこの濃い顔の人達の中では、ちょっと田んぼに落ちたわぁ位の軽い出来事だったのでしょう…強い、ツワモノだわ…。
この自分では消化しきれない不思議だった出来事を誰に伝えたら良いのか分からず、とりあえず日本で出稼ぎをしていた旦那へ電話し、後ろからバイクに突っ込まれた事と、その後部座席の人がふっ飛んだにもかかわらず数秒後に逃走した事を告げると、
旦那からまたしても不可思議な返事が返って来ました。
「それ相手ティモールかスンバ人やろ!!」
何故分かったのでしょうか…その断言できる自信はどこから!!
あのエリア(インドネシア東部)の人達と接している中で、最近になってようやく私も、ティモール人やスンバ人の顔の違いが分かるようになって来たのですが、今回の逃走男たちは恐らくスンバからの出稼ぎの人達だったと思います。
そして続けて旦那は「まぁしゃあ無いな、あいつらと喋った所で何も出てこんし」と言われました。
”何も出てこん”というのは、修理代を請求出来ないという事ですが、私も走っていた訳だし逆に請求されなくて良かったわ。
スンバ島では車に傷をつけて修理代を払えない場合、ボコボコってされる可能性が高いそうで、それを恐れて逃げたのではないか?という結論になりました。
私にはあの濃い顔の人達をボコボコするなんて出来ないのに…
ともかく、彼らは逃げて行きました。
そんなツワモノだらけの島、スンバから来ていたファミリーも(結局10日以上滞在した後に)無事帰り、ほっとしたのも束の間、今度は雨漏り修理のトゥカン4人が家に押し寄せ、何故か分からないけれどほうきが2本も折れ…
その他もろもろ色んな物が壊れ、家もドロドロになりましたが、
今のところ雨漏りは直っているみたいなのでまぁ良しとします。
でも、そもそもほうきって普通に使っていれば折れませんよね??普通に木のほうきで折れる兆候全く無かったんですが…
何に使ったのかも不明だわ。。
そしてトゥカンが2週間の工事を終えたと思ったら、ついに4か月間日本で出稼ぎをしていた旦那が正月休みを兼ねて戻って来ました。
確か去年北海道から戻ってきた時は、日本人ぽくなって帰ってきたのですが、
今の日本での現場仕事は全員がインドネシア人ならしく…
日本から帰って来たにもかかわらず、すっかりインドネシアモードで、
家のことは何もしてくれない!!! 石像か!! いや石像は部屋汚さんか!!
ホント、住んでいた寮の汚い環境が想像出来ました。
脱いだものは脱いだ場所で部屋の至るところに放置され、
食後も動く気配が無く、
旦那のバースデー用には一応用意した小さいケーキを自分の持って来たガラクタの山の上で広げようとしたので、
「ちょっと待って!! この散らかった感じでケーキ食べて美味しいと思う??」って聞いたら、
「全然平気!! 俺日本でごみ屋敷いっぱい見て来たから、この部屋余裕で綺麗やし。」と言い返された。
今回の出稼ぎでは旦那は解体屋さん+ごみ屋敷の片づけをしていたそうで、悲惨な写真を私も何枚か見たのでした。
※ちょっとアップ出来ないレベルですが…写真を見る限り、山と言うかゴミで埋まった箱にトンネルを掘りながら突き進んで行く様な感じす。
そんな事はどうでもいいけど、
「せめてゴミはゴミ箱に捨ててくれ。服はカゴに入れてくれ。それ以上は私がやるから。」
と言う訳で予定は一ヶ月の共同生活は、まだ始まったばかりです。
]]>
旦那は日本に出稼ぎ中だし、私はバリで主婦をしている位で、コムスメンの学校の間には海に行ったり、マッサージに行ったり…
これまでの生活と比べると、どちらかといえばノーストレスな日々です。
そんな、ブログを書く必要が無いくらいノーストレスだった私の身に、突然襲いかかった大幅ストレス…
はい、これしかないですね、またしても………
スンバ人ファミリーとその友人計6人が我が家に泊まっています。
しかも前日に「明日からバリ行くから」の一言で、本当にやって来たスンバ人6人(うち子供3人)。
旦那の姉+妹の子供+別の妹の子供+姉の友達2人+その子供1人
そこに私とコムスメンを含め、雨漏りの家に現在8人が共同生活していて、たまに私は知らないけど家族だと名乗る人達まで加わり家は悲惨な状況に…
本当に雨漏りが大した問題では無い位にめちゃくちゃです。
予想はしていたけれど色んなミラクルがおこるもので、
朝からトイレは流れていない→多分流し方が分からない
洗い終わった服は3重、4重にも重なったまま干してあって→乾くわけが無い
子供達に夜中の12時にドーナツを与えたり→普通寝てますよね、その時間…
子供達は夜中の1時までおもちゃで遊んでいるし→その時間、普通寝てますよね…
大人達も夜中の2時まで大声で喋っているし→田舎の人はやたらと声がでかい、
雨だから車で出かけたいと言いだし、私も外出の気分では無かったので車の鍵を渡すと、
そのまま15分間発進出来なかったり→運転出来ないんやん(笑)
LUKPAKの高級バターは3日でハビス(空)→料理にはせめてblue bandの安バター使って下さい、
どうりで野菜美味いと思ったわ!!
と、言い出したらもう行が足りないのでこの辺にしときます。
インドネシアの文化に従い、家族を受け入れなくてはいけないのは重々承知…
だとしても実の妹と弟が、レギャンとパドマという絶好の場所に部屋を借りているにも関わらず、
何故いつも我が家に来るのだ!!! しかも旦那の不在中…
実の妹は「うちのキッチンは狭いから」と断られ、
実の弟は「うちにはベッドが無いから」と断られたらしいので、
私も「我が家は雨漏りがひどいから」(実話)と伝えたのだけれど、なぜか却下された。
雨漏りなんて全然オッケーなのだそうだ。
けれど最近になって気がついた事がある、
スンバ人ファミリー達は何だかんだで年間に3,4回はバリにやって来るのだが、旦那が家に居るときはいつも来ない。
どんなに狭くても、別の家に泊まっているなという事を思い出した。
そして私はようやくこの不可解だった謎を解くことが出来たのだ。
旦那がいないから皆我が家に来るのだ!!!!!と。
逆に何故今まで気がつかなかったんだろうか…↓この通り
口うるさい旦那は自分の家族に対してもかなり怒り散らすので、旦那がいる我が家では誰も好き勝手は出来ないのだ。
そして、日本やスンバに旦那が行っている隙を見つけては、バリトリップにやって来る。
私も旦那が出稼ぎをしている以上、これ位の事は受け入れようと心を広く構えてはいるけれど、
ペースを乱され部屋はグチャグチャ、出費は増えるし、バターはもう無い…
思えば僅か4か月でギブアップしたスンバ生活もこんな感じで、旦那は家に帰っては来ず、私と娘とその他ファミリーでの生活だった事をふと思い出した。
バリみたいにちょっと行けば娯楽があるという訳でも無く、何も考えずによく移住したもんだなぁと…思い出したらまた泣けてきた。
色々な事を何とか受け流しながら、すっかりスンバ化した我が家で、愚痴を吐き出すように最近始めたサックスを吹いてみた。
すると、言葉にし辛い小さなストレスのかたまりが音と共に発散された気がした。
そして2時間後には何ともスッキリした気分になっていた。
そんな感じで爆音練習を繰り返しているうちに、指もまわり始め、吹けなかった部分が少しふける様になり、テンポを少しずつあげて間違いなく吹けた時、
「よっしゃーーーっ」て思う。
あのスンバ島生活の時、もし私がもうサックスを始めていたら、まだスンバに住んでいれたかもしれないとも思う。
まぁスンバにサックスを持って行けば、おそらく4ヶ月以内に盗難にあう確立の方が高かったとは思うけれど。
新しい武器も手に入れた事だし、始めてようやく1年の新たな趣味と共に、いつまでいるのか分からないファミリー達を見守ろうと諦めた。
因みにファミリーは我が家に滞在中、何度も私に「旦那はいつバリに帰ってくるの?」と聞いてくるのだが、
家族思いだからかと思っていたけれど、よくよく考えてみるとやはり、旦那の帰国を恐れてそれまでには退散したいと企んでいるのだと思う。
だとしたら12月20日…それはそれで長すぎる…。
私はこの雨漏り以上に居心地の悪い空間を作るべく、旦那の写真を大きくプリントアウトして部屋に貼ろうと心に決めた。
しかもカメラ目線で、その横に「NO SMOKING」とか書いてしまおうかしら。
居心地半減大作戦…。
自分の居心地も半減しそうだけれど。
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2つあるレジの一方が閉まっていたので、空いている方のレジの後ろで順番を待っていると、すかさず品出しをしていたスタッフがやって来て、
「大変お待たせしましたー」と言いながら、隣のレジをあけてくれた!!
「ぜ、全然待ってないですけど」
やっぱり日本のサービス精神って素晴らしいわ、手際の良い事この上ない。
一方のバリ島は…一流ホテルともなるとそれなりの接客が出来るスタッフもいるのだけれど、私の行動範囲にはまず居ない…。
食堂で「パッ」「ブッ」「ンバッ」「ミシー」…何度叫んだところで誰も来なかったりは日常茶飯事…。
これは私の中のインドネシア七不思議に入る事案でもあるのだけれど、特に田舎から出てきた人は何度呼んでも気付かないの、何で???
まぁそんな事でいちいちイラついていたのは数年前の出来事でもあるのだが。
そんな日常の中、先日何とも感動もののサービスを目の当たりにした。
子供大国のインドネシアで、まさかの子連れ禁止というポリシーを持ったホテル「The Bale」に併設されたレストラン「TAPAS」は外からも入れるし子連れOKなのだが、何となく気がひけるので行くのをためらっていた。
だが、いざ行ってみるとスタッフは子供にも優しいし料理も美味しいので、最近になってようやくためらいの糸が切れた所だった。
割と暗めな落ち着いた雰囲気の店内で、創作料理の小皿が一皿500円〜1000円程度で食べられる。
想像の出来ない味の物をたまに食べたくなる人にはお勧めのお店だ。
スタッフの視線はほとんど気にならないにも関わらず、ここではオーダーの時も何か用事のある時も、スタッフは呼ぶ前にやって来てくれる。
そしてこの日もコムスメンを連れ、お行儀の悪い感じで食事をしていた所…
呼ぼうともしていないのにスタッフが私達の所へとやって来た。
手にはグラスの中に紙ナプキンと紙ストローが5本もささっていた。
そして「使って下さい」…と。
よくよく見てみると、コムスメンはいつも通り紙ストローを噛み噛みしていて、ペタンコでもろもろになっていた!!
すかさずストローを取り替えながら、本当に気の効くスタッフだなぁと感動した。
よくもこの薄暗い店内で、数メートル先からコムスメンのストローの先がペタンコなのを確認出来たものだ。
とく見るとうっすら鼻水も垂れている…もしかしてこの紙ナプキンは鼻水用だったのだろうか…。
新しいストローをまた噛み噛みしながらご満悦そうに結局3本のストローを消費しておきました。
お行儀悪くてごめんなさい。
]]>両家の親が顔を合わせないまま結婚なんて、バリ島ならともかくその他田舎のインドネシア人と結婚した場合はそんなに珍しくも無い事だと思うけれど、今回の母の2か月の滞在中に、義理ママもバリへとやって来ることになったのだ。
義理ママは年に数回、スンバ島から首都ジャカルタ、そしてスラバヤへと買い付けに行くのだが、直行便が無いため毎回バリ島でトランジットをする事になる。
以前旦那の不在中に義理ママ達が襲撃してやって来てあくせくとした頃もあったけれど、今となってはそんな事にも平静に対応出来る様になっていた。
私もいつの間にやら成長(?!)順応して来たもんだなと思う。
詳しくは過去の記事
まぁ旦那がいた所でスンバの家族が現れた瞬間に彼は一人バイクのエンジンをかけ、私に家族のガイドやら一切を押し付けてブーーンッと走り去って行くのだから、いてもいなくても変わらないのだけれど…
日本人の私がスンバ人数人を連れてバリ島をガイドって、何か違和感がある事にそろそろ気がついて欲しいなと願う。
そんなこんなで、結婚後初めての母同士の顔合わせは空港から始まった。
到着時間を聞いてそれに合わせて迎えに行くなんて、そんな要領の悪い事は今はもうしない。
インドネシアの国内線がきちんと時間なんて守ってはくれないと学習した。
トランジット予定のわずが4時間で対面できるのかどうか少し不安だったけれど、荷物の出待ちで電話をかけて来た義理ママをお迎えに行き、いともあっさりと母達は初対面を果たす事が出来た。
こんなに要領良く事が進むのは、非常に稀なことだ。
私の好きなお店、カルティカプラザの中華料理(TaWan)で食事をし、義理ママから我が母へと伝統”イカット”(織り物)と、伝統”カレーク”(カバン)を進呈され、写真を撮ったりしているともう空港へ戻らなければいけない時間になった。
義理ママは以前私の母がお土産に渡した時計をクパンで失くしてしまった事を母に謝っていた。
それを見て、私も結婚の時に義理ママから貰ったスンバ島伝統の”マムリ”(まさかの女性器をモチーフにした金のネックレス)を海で落としてしまった事を、いい加減謝ろうと誓った。
ところで…今回もバリに住んでいる義理の妹はこの会合には現れもせず…
義理の弟もお土産だけをとりにきてものの3分程でバイトだと言って退散しやがった…。
ビーチのバイトがそんなに融通効かないものかどうかは、私は知らないけど…まぁいつも通りのこんな感じです。
]]>お元気ですか?
タイトル通りなんですが、「バリ 離婚」というキーワードで検索すると、自分の書いたブログが結構上位に出て来ました。
ギョッとしながら読み返すと、内容が我ながら期待はずれだったと共に、当時の心境を思い出したりして思いとどまりましたけど…。
同じように自分の書いた記事で誰かが事態を思いとどまってくれるなら……それはそれで幸いです。
↓↓当時の心境
という事で、そのうち「本当に良いの?その結婚…」とかいうテーマで投稿しておこうかなと思ってます。
穴を見つけるとつい顔を出してしまうコムスメン4歳。
実はこの数ヶ月の間で、
配偶者VISAの期限切れ問題→更新期間内にずっと旦那が不在だった…
やら、
旦那の出稼ぎ計画まさかのドタキャン問題→日本まで来ていたのに…
やら、
○婚問題→言うまでもない…
やらその他もろもろで、気分はどん底だった↓↓
因みに、今回の更新でKITASからKITAPになる予定だったのに…
あと一歩で5年間のVISAゲットの所を自ら放棄した事になってしもうた…。
でも今はまたバリ島に戻って前向き別居生活をしながら、日本で働き始めた旦那からの仕送りを待ってみる事にした。
去年と変わった事は、私が仕事をしていない事と、前向きに別居している事。
色々考えたんですけど、○婚した所で一人で仕事と子育てをこなせる自信もなかったし…
そんな感じで念願の(?!)専業主婦になり、日本から来てくれた私の母も加わって、娘と共にバリで暮らしています。
母のバリ島長期滞在は今回が初めてなので、ちょくちょく観光地や買い物や海へも出かけたりもするのですが、相変わらずコムスメンの学校は長期休暇が好きみたいで(というよりこの国は休日がやたらと多い…)先週も軽く言い渡された「一週間のお休みです」を利用して、ギリアイル(というお隣ロンボク島の西隣に位置するギリ三島の一つ)へ、67歳の母と4歳の娘を連れて親子三代の旅へと行った。
旦那はせっかくやしお母さんスンバ島へ連れて行ったら?と言われたのだけれど、私から散々な話しか聞かされていない母の答えは「今回はご遠慮しとこかな」という事で、海的にスンバっぽいであろうギリに行くことにした。
確かに海と馬はスンバっぽかったけれど、想像を上回る以上の観光リゾート地で、1日に数百人もの人がバリ⇔ギリ間を行き来している。
行く直前まではレンボンガン島を計画していたのだけれど、前々回のスピードボートが激揺れした苦い思い出があり、あの船に高血圧の母を乗せたら卒倒するかもしれないという嫌な不安もあったので、今回はレンボンガン行きよりはおとなしいと噂のギリを選んだのだけれど、予想に反して帰りの船はまさに激揺れし、低血圧の私も無事の到着をただ祈るのみだった…。
そんな中でも乗客の90%を占める欧米人バックパッカーは、流石にケロっとしている人がほとんどだったけれど、あれがアジア人だったらおそらく半分は吐いていたと思う。
そんな私の祈りの最中に、白人の女の子があまりの揺れにパニック発作を起こしてしまい、船員がドンビーパニックと言いながら、ゲロ袋を片手に通路を走り回っていたのが余計に恐ろしかった。
だがそれ以外を除いては旅は実にパーフェクトだった。
飯は美味い、空気も美味い、海はきれい、ホテルも快適…。
コムスメンを海で泳がせるという計画は失敗に終わったけれど、フィン無しスノーケルもなんだかんだで毎日出来たし、とにかく適当に入った店にも関わらず、どこもご飯が美味しかった。
さすが欧米人が通い続けるだけあって、ツボをわきまえているなと思った。
今回のギリアイルの写真をアップしておきます。
アクセス方法とか詳しく知りたい方は、私の友人がその辺を日本語で詳しく書いていますので、そちらの方を参考にして下さいね。
因みに私はWahanaという会社を利用し、往復55万のボートで行って来ました…。
Instaで見つけた激安ボート会社 ¥往復50万ルピア/ でギリ島に行くの巻 ★★
ギリ3島は車、バイクの乗り入れは禁止されています。
今回は馬車でホテルへ移動しました。
自転車のレンタルがおすすめです。
道路も海の砂が飛んできているので、ビーチクルーザーがお勧めです。
そんな事も知らずにママチャリをレンタルしてしまったので、海沿いの道は押す羽目になりました…。
といってもチャリで迷いながらも1時間あれば島一周出来てしまいます。
中央部の道は大体こんな感じ
あのチャリ良いなーー。
鉄塔のある風景
西側のサンセットです。
この後夕立ちが来ました。
今回泊まったホテルは、ご飯がとにかく美味しかった。
特に朝のパンケーキは絶品。
宿は快適でスタッフも親切でした。
ファミリールーム利用で1泊Rp.650.000位 5人まで宿泊可能。
コムスメンは波が怖いからと結局海水浴を断念し…ほぼプールにいました。
波といっても…、内海なので瀬戸内サイズなんですが…サーファーは数人いました。
コムスメンの写真を撮っていると、
ホテルのスタッフが虹が出てるよ、と報告に来てくれました。
ギリアイルは田舎で静かだと聞いていたので、小規模スンバをイメージしていたけれど…
観光客で賑わっていて、ホテルも何十件もあるみたいでした。
警察がいないので、悪い事をしても捕まらない、悪い事をする人はいないのだそうです。
遊ぶ私と働く旦那…良い気分。
次の旅は…ジャカルタから1時間で行ける小島へ行きたい。
そして、ギリから戻って数日後の事、ギリ行きのスピードボートのエンジン部分が爆発して、けが人と死者が出たとのニュースがあった。
よく調べてみたら、私の使った会社のボートも去年事故を起こしていたみたいでゾッとした。
ドンビーパニックとはそういう事だったのか…。
去年の事故はバリ⇔ロンボク間のスピードボートの事故だったみたいで、サーフボードが担架になったとか悲惨な状況が載っていた。
また怖いものが一つ増えてしまったけれど、やっぱり旅は辞められない。
]]>
過去の記事
彼が入院してしまいました…。(デング熱+マラリア)
スンバ島には家を持たずに洞窟の中で暮らす人々がいます…。
気になっていましたがまだ近づいたことはありません。
地元にあっても全然通用するレベルなんです。
そして何と言っても、一皿6個で何故かお腹いっぱいになる食べ応えに関西人も大満足なはず。
ねぎ塩(近日開始)
スパイシー(近日開始)
お値段は6個入りオリジナル(ソース&かつお節&青のりのトッピング)でRp.25.000です。
場所がかなり分かりづらいのですが、サンセットロードを北から下って行き、シンパンシウールの手前の道(Jl.Anyar)を左に入って200メートルくらいの所にあります。
車もバイクもP可能。
そして腹いっぱいの”たこ焼き研修”を終え、サンセットロードのアルメリックサーフボードにたこ焼きの調査に行き…、スミニャックにあるBINTANGスーパーへたこ焼きの視察へ行き…その後もう一段!!
「もう一発ネタ作っとく?!」と、もう一軒のたこ焼き屋さんへ行くことに…。
そこで二軒目…スタッフが生地を鉄板に流し終えた瞬間、
「美味いわけ無いやん!!」とダメ出しの一言…。
何でも生地を流す量が足りていないらしく、これでは中に空洞が出来るのだとか…。
お味の方は…
「まぁこうなるわな…」
と、たこ焼きの中に出来た空洞に向かってつぶやいていました。
ちゃっかりスタッフの女の子と写真は撮っていましたけど…。
まぁ私は既に調査済みだったのですが、こんな感じで無事に”バリ島たこ焼き研修第一回”を終えました。
次回はもっとディープなデンパサールのたこ焼き屋さんへ空洞の視察へお連れしますよ。フフフ
因みに大阪のたこ焼き屋さんは大阪のど真ん中、本町のオフィス街にあります。
一度お邪魔しましたが、めちゃ美味しかったです。
ラッキーにも大阪付近にお住まいの方は一度行ってみて下さいね。
コチラ↓
そしてバリに滞在中の方も、是非一度バリのたこ焼き屋さんに行ってみて下さいね。
コチラ↓
日本にいる私のおばあちゃんが、2/12に何と90歳のバースデーを迎えました。
Skypeで「おめでとう」を伝えたのですが、外出から帰宅したばかりだったおばあちゃんは何と、
「デイサービスの代わりにこれから体操教室に行くんよ。」
と言ってまたまた出かけて行きました…。
デイサービスの代わりが体操教室って、何とも元気なおばあちゃんです。
私もマッサージの変わりになるべくサーフィンに行って、基礎体力向上目指します。
何でやねん、大丈夫ってあんたが大丈夫でも我が家は土足禁止やねん!!「郷に入れば郷に従え」って英語で何って言うのかな。
と、また話飛びましたが、私にとっての一番の難題は、やはり海が遠いという事です。
ジャカルタにも海はあるけど波は無いそうで、やっぱり子育てしながらでも学校に行ってる3時間の間に車で15分のポイントに行けばそれなりの波が割れていて…、渋滞はあるけれど裏道を行けばオフロードで、緑と空がくっきりはっきり、新しいメキシカンの店気になるけど今日もいつものワルンでチャンプルでいっか〜♪♪という感覚はバリならではないかと思います。
まぁ、たかが数日の滞在で良さを見抜くのにも無理はあるかと思いましたが、このズボラな性格はバリに向いているのかと…。
ですがバリ在住者の私達がジャカルタで一番意外だった事は、バリなら一日一回はあると思われる対人によるありえない事件、これがジャカルタにはほとんどありませんでした。
人によって起こるストレスがほとんど無い!!これはポイントです。
ボケーっとベンチに座っていても、いきなり人が近づいてきて「あんた何人、子供何人、仕事何、給料いくら、家持ってんの?」とか、プライベートな質問をずかずかして来る様な人は一人もいませんでした。
会計の時の計算も速いし、時間も守るし、何かと会話の内容が的を得ている、という所が割と日本みたいな感覚で居られました。
人によるストレスというのが全く無かったのですが、それが多少淋しかったりもしました。
同じ国なのに、何故こんなにも違うんでしょうか、良くもあり、時には面倒臭い田舎を思い知らされる気がしますが、今回のジャカルタ小旅行は行ってみて本当に良かったなと思いました。
私の好きなお洒落なカフェとかも町中にあって、この国もなかなかイケてると思いました。
私の”ツボ”を刺激する、廃墟を改装した様なお洒落なカフェもあって、コーヒーもパンケーキも美味しかったし店員さんもイケメンでした。
ですがやっぱり住むとなると多少の苦労があったとしてもバリが向いているのかなと思いました。
本当、百聞は一見に如かずですね。
来年の目標は、ジャワの大きな港があるスラバヤと、出来ればスマトラの大都市メダンにも行ってみたいと思います。
2016年は予想外にも私の勤めている会社の閉鎖宣告により、私は更に暇人になると思いますので、フリーランス業とサボってきたスンバ島プロモーション、そして適当子育てをやりながらバリで適当に生活して行こうと思っています。
あとは外食率を下げたいです…。
それと出来ればアパレルのデザインとかも再開出来ればなと思っていますが、いつもやるやるの言うだけ詐欺なので…まぁ出来れば。
こんなゆるい感じですが、来年度もブログは続けていきますので、よろしくお願い致します。
そしてジャカルタからバリに戻り早速、あり得ない対人による事件というか事故が起きました。
12/8のコムスメンの4歳バースデイに、ローカル達の大好きなNirmala Water Parkという滑り台のたくさんあるプールに行ったのですが、Water Bom並みに迫力のある滑り台にテンション上げてしまいました。
「サーパン忘れた」という言い訳をしてプールに入らなかった旦那も、最終的にはコムスメンを連れて滑り台に登っていました。
ちゃんとサーパンはいて…。
実はサーパンを忘れたのではなく、プールの水が濁っていて入りたくなかっただけみたいでした。
嫌なところはいつもこっそり逃げる、卑怯者の旦那め!!
因みにWater Bomへ行った時には本当にサーパンを忘れたのに、チェック柄のダサイパンツで堂々とプールに入っていました。
これぞローカルスタイルです。
何だかんだで私一人で挑んだ3度目の滑り台…、結構なスピードで30過ぎの女がキャーキャー叫びながら迎えたフィニッシュの着水地点に何故か見知らぬ子供の影が…。
何で滑り台の上に座ってるねん、危険予測せいよ…!!!
手と足とでブレーキをかけたものの、子供と接触してしまいました。
ブレーキの際に出来た打身と傷とで私は流血…、あまりの足の痛さにうずくまっていると、すぐ近くにいた子供の父親が心配そうにその子供を抱っこしました。
ですが私のほうが明らかに負傷していて、状況から見て父親が謝りに来るのかと思っていたら、さっさと子供を抱えて去って行きました…、
何でやねん!!
私の旦那も相手の父娘には何も言わず、ただコムスメンが「血・血・ママ大丈夫!?」と心配してくれました。
そして旦那はうずくまっている私に向かって「お前アホやなぁ、ブレーキかけても止まる訳ないねんなんから、そういう時は足開いて子供と一緒にプールに落ちろよ…」と言いやがりました!!!
そんな、とっさの判断で数メートル先の滑り台に座っている子供に向かって足を開いて突進出来ますか??
きっとこれがもしジャカルタの滑り台だったなら父親は謝りに来たはずだったと思います…。
何で何にも言わへんねん!!
あぁこんな理解不能な人達と一緒に暮らす位なら、いっその事ジャカルタに戻りたい…と思ってしまいました。
ジャカルタ移住の夢…はまだまだ未定です。
結局到着したのはその2日後だった。
それにしても、今回で火山灰によるフライトキャンセルを喰らったのが3回目という旦那の運の悪さは、なかなかのものだと思う。
世界を飛び回っている様なビジネスマンならともかく、たまにしか乗らない飛行機が3回も火山灰によりキャンセルとは…。
ついてなーい。。
「まぁKLでゆっくりしたらええやん、どうせ帰ってからも特に予定も無いんやし!!」
という私のアドバイスを参考にもせずに、せっかちな旦那は即座にスラバヤ行きの飛行機に乗り、たまたまスラバヤで買い付けをしていた旦那の母と合流し、その後バスに乗り陸路でバリに戻って来る事になった。
けれど今度は8時間の予定が今度はエンジントラブルにより18時間のドライブになったとか…。
ついてなーーい。。
一方の私の3ヶ月間のシングルマザー状態な生活は大変だったけれど、幼稚園とたまに面倒を見て貰える場所があったので何とか乗り切れた。
そして今回の体験をした事で、本当にシングルマザーって大変だなと改めて思った。
旦那が単身赴任で不在という状況の家庭は沢山あると思うけれど、シングルマザーの場合はその生活プラスお金の不安がある場合が多く、その場合は本人が働かなければいけない。
一方の旦那が海外に赴任中というパターンは多くの場合は専業主婦だったり、外で仕事をしていたとしてもお金の不安がそんなに無い場合が多いと思う。
このお金の不安があるか無いかというのには精神的に大きな違いがあり、子供を育てながら仕事をするという事は時に大きなプレッシャーに見舞われる。
うちの場合も旦那が出稼いでいる間には自分で生活費を稼ぎながら生活していかないといけなかったのだけれど、3か月後にはある程度まとまった資金を持って帰って来るという安心感もあったので、今回の選択は良かったと思う。
旦那がバリに帰って来る前日の夜、3ヶ月の生活を振り返ると私のほうがなんだか泣けてきた。
大変な事もあったけれど、旦那に気を使う事もなくそれなりに自由に趣味の時間も持て、この生活パターンを少し気に入ってさえもいた。
しかし旦那はというと3ヶ月間家族の為に故郷を離れ、北海道の紋別というこれまた人里離れた場所で働いていた。
慣れない仕事や環境は大変だっただろう…、
サーフィンもしたかっただろう…、(私はしていたけれど)
家族とも会いたかっただろう…、(インドネシア人なので特に)
本当によく頑張ったと思う。
そうして迎えた旦那が帰って来る予定日だった早朝…、
玄関で小さな物音が聞こえた、とうとう帰ってきた!!
家はいつもよりは念入りに掃除をして、米も多めに炊いていた。
それなのに…私はとっさに旦那に対してある行動をとっていたのだ!!!!
寝たフリ………
何故そうしたのか本当に自分でもよく分からない、
寝起きが特に悪かったわけではない、というよりむしろいつもよりスッキリと目覚めていた様な気もする。
結局その物音はお隣さんの家の音だったのだけれど、私の寝たふりは2度寝へと変わった。
因みにその日の夕方、ようやく到着した旦那と娘との再開のシーンはなかなか盛り上がっていた。
そこの旦那さん、あなたの奥さんは本当に寝ていますか?
ただ目を閉じているだけではありませんか??
寝ていると思った嫁の横で、仕事場で出会った彼女と電話で「サヤ〜ン(恋人)」と呼び合う…。
そんな甘ーーーい声を奥さんがひっそりと聞いているかと思うとゾッとしませんか??
これはバリで身近に起こった話なのですが、登場人物その他一切は公開できません。
って、そうなりますよね…あの時フォロー出来なくてすみません。
でも気持ち分からんでも無いので採用。
新婦「無人島に一つだけ持っていくとしたら何ですか??」
新郎「ええーと…ナイフ??」
ちゃうやろ、そこは”あなた”って答えるべきでしょ!!
その後の質問にもパッとしない答えを並べる新郎さん、自分の事はさておいても、今後の二人が思いやられる。
しかもナイフってまた、結婚式の時に切れるものって縁起悪いんですけど…フォローの余地なしでカット!!
新婦「無人島に一つだけ持っていくとしたら何ですか??」
新郎「ええーっと、難しいな、でも写真かな”二人の写真”持って行きます。」
一同感動(ていうか現場にいた日本人スタッフは二人だけだったので、二人で感動。)
想像していた以上の答えでした。
フォトグラファーもさぞかしその日のシャッターには気合いが入った事と思います。
ちなみに同じ質問を旦那にした所…。
私「無人島に一つだけ持っていくとしたら何??」
旦那「むじんとうって何…?」
(中略)
旦那「刀やろやっぱり」(え…カタナ?? は、しかも日本語…)
…まぁ結婚式では無いので許します。
私「サーフボードじゃ無いんや」
旦那「いや、その島に波あるかどうか分からんやろ…」
…確かに、冷静でした。
無人島の様な場所から来た旦那が刀だというので「ナイフ」と答えたセンスの無い新郎の答えも間違いでは無かったのかもしれませんね。
私は小さい頃から無人島への憧れが強かったのですが、そのイメージの中の私はいつもココナッツツリーの下でギターを弾いていたので、ギターを持って行くと思います。
下手くそですが、無人島に行って他にする事が何もなければ数ヵ月後には上手くなっているでしょう。
でも今ならアルトサックス持って行くと思います。
まだマイサックスは持ってませんが…実は1ヶ月前にレンタルで始めたアルトサックスにやたらとはまってしまい、波にも乗らずに練習をしています。
いや、生きるためにはやっぱりこっちかな…。
いや、紙とペンかな…?
絵の具…?
未知の分野で花咲いたりして…。
ところであなたは、無人島に何を持って行きますか??
お手伝いを失ってバリに娘と2人で残された私も結構大変です…。
最初の1・2週間は入りたての幼稚園へコムスメンを送り、その間の3時間にオフィスへ行ってひたすら編集をする…、
そして帰って洗濯・掃除・ご飯を作る…というこの今こそが、私にとっては究極の試練(大げさですが…)で、要領よくこなさないと事が終わらなかったのですが、やっているうちにその忙しい感じを逆に楽しめるようになった自分にも驚いています。
家は(自称)ピカピカ。
これまでには無いまともなメニュー。
そして何と……私の人生には必要無いであろうと思っていた”アイロン”というやつまでGETしてしまったのです!!
といってもまぁ、時には近所の親戚にコムスメンを預けてマッサージに行ったり…、
時には一緒に海へ行って、ビーチボーイのいとこ君に娘を預けてサーフィンしたり…、
友人の子供に娘と遊んで貰って昼間からビール開けたりと…、
皆に助けて貰いながら、息抜きもそれなりにしていますのでご安心を…。
一方の日本にいる旦那も、頑張っているみたいです。
行ったばかりの時には連絡も取れない状態だったのですが、それを気遣ってくれた友人や社長さんが旦那の写真を時々送ってくれたりしていました。
ホタテ工場とアフター5の様子。
皿からこぼれ落ちているのは獲れたて新鮮なホタテです。
大変な事もあるだろうけれど、そういう事は一切口にしない旦那…、
最近はスイッチがすっかり日本モードに切り替わっているみたいです。
左が旦那で右が私です…。
(分かりにくいのでスタンプの吹き出し部分を翻訳…)
右 買い物したったーー。
右 あーー、お腹いっぱい。
右 神様これまでの罪と過ちをお許し下さい。
右 神に祈りを捧げましょう。
ところで今回のこの日本行きの話を頂き、出発までにはビザの用意や何やらで時間がかかりましたが、
旦那の「行きます」という決断はものの数分で決定していました。
スンバからバリへと戻り、これまでは私がバリで仕事をしながら何とかかんとか生き延びていたのですが、
日本人のウェディングの件数は年々減る一方で、それに加えて今年の初めに海外でテロが起こり、どこぞやのニュースでバリ島も危険な場所なのだと放送されたとかで…、
それが原因なのかは分からないのですが、今年の前半は仕事がたまにしかない状態が続いていました。
生活するのに十分な収入が得られず、給料日まであと1週間という所で、残りの全財産がわずか30万ルピアになった時にはさすがにヤバイかなと思いました。
ですがそんな事態が今年に入って何ともう3度も起こり、3度目のやばい事態の時には家族3人でサーフィンに出かけたりする位の余裕も残っていました。
そんな財布の中身が15万ルピアに差し掛かっていたとある日、私達のお気に入りのスランガンで旦那が最近はまっているスピアフィッシングをしていると、
突然物凄い天気が悪くなり、雨が降り出すとともに興奮した旦那が水面へと上がって来ました。
珍しく雷を恐れて上がって来たのかと思いましたが、違いました。
今までまともに魚といえる魚を射止めたことの無かった旦那で、私もこの人魚捕るセンスないんやわぁ…と諦めていましたが、この時ばかりはでかしたぞーーっと思いました。
旦那が手に持っていたのは何と…10万ルピア(約1000円)札!!
海の中に何故落ちているのか不明でしたが、何かといけてないこの国のお札にはプラスチックコーティングを施している政府に感謝。
そして帰りにジンバランに寄ってイカンバカール(焼き魚)を食べました。
そんな危うい生活を送っているうちに、”お金の無い事態に出くわしてもあまり焦らない”という特技を身につけていました。
因みにバリ在住の外国人でこの感覚にピンと来るのは私だけでは無いハズです…。
それに加えて、私はスンバ島での4ヶ月での生活の事もあったので、途上国と呼ばれる場所のもっと究極な生活も見てしまっているのです。
本当に信じられない光景があったり、色々と感じたこともありますが、それもまたボチボチ記事にしたいと思います。
そんなギリギリセーフな我が家ですが、この間旦那と電話で話していた時にまた思いも寄らぬ一言を聞いてしまいました。
「俺はやっぱりお金に余裕があった方が、気持ちにも余裕が出来る気がする」と…ほう。
確かに…私も約3か月間のウェディングの繁忙期のお陰で、今はもう財布に30万という事態から脱していますが、必要なものを買えて、服や靴や+αが買えて、美味しいものが食べられて、確かに不安は減っている様な気がしています。
やはり私達もこの世界の経済のしくみに支配されているのだと改めて思いましたが、将来の自給自足生活の夢も諦めたわけではありませんよー。
数ヶ月前のスランガンでの10万ルピアは今となっては笑い話ですが、またこれがリアルな話ならない様に、生きる道を探そうかと思っています。
今月は友人が何と2回も刺身パーティーに招いてくれました。
スランガンの船で釣りに行き、捕れたらすぐに血抜きをして氷で冷やして持って帰るのだそうで、
新鮮な魚はめちゃくちゃ美味しかったです。
]]>そんな私はまだまだ日本人の素質があるなとも思う。
そしてためらいつつも入ったいつもの食堂はほぼ満席だったけれど、隣の席にも前の席にもコムスメンよりも小さい子供を連れた家族がはばかっていた。
そうここはインドネシアなのだ。
そんな時間に皆同じく油ギッシュなものを食べていた。
そしてその店に居たほとんどの人はメタボ風だった。
料理を待ちきれないコムスメンがソファーをトランポリン代わりにジャンプし始めたので「アカンって、隣の人に迷惑やから…」といって辞めさせたが、その後もソファーは揺れ続けていた。
というのも何と、そのまた隣の席の子供もソファーをトランポリン代わりにジャンプしていたのだ。
そして真ん中に挟まれたお姉さんは私の約2倍はありそうな太ももを揺らしながら、無愛想なコムスメンにニコニコ喋りかけたりもしながら食事を続けていた。
インドネシア、実に大らかだ。
そして今度は椅子の上でサンダルのままあぐらをかいて座り始めたので「ちゃんと座ってよ、もうっ!!」と言ったら、前に居るお姉さんがなんとソファーでずっしりとあぐらをかいてカキ氷を食べていた。
まぁいいのかそれも…
実にゆるい。
そして小食の私とは裏腹に、大食いのコムスメンは一人でフーユンハイを平らげた後に、何故かTシャツを首の上までめくりあげて「ほら見ておなかボンボンッ、ぐへへへー」っとおなかを丸出しにしてはしゃぎ出した。
外で服脱いだらアカン、恥ずかしいやろ…。
まさかと思いまわりを見回したが、服を脱いでいる女性は見当たらずに安心した。
ほっと一息つき、あんなに唱えていたラーメンにはほとんど手もつけずに、
代わって私がその日の気分では無かったラーメンを平らげてお支払いに行った。
ふとキッチンに目をやると、店員さんは鼻くそをためらいもなくほじっていた。
フーユンハイの上にのっかったグリーンピースを思い出しながら、あれを作ったのがその彼では無い事を願った。
日本人のモラルは、そういう人の目を気にする所から保たれている訳で、それはとても立派な事だと思う。
だが太ももを揺らされながらもニコニコと子供に微笑みかける、この大らかな人達が居るこの国もまた良いもんだと思う。
コムスメンにはそれなりのマナーも身に着けて欲しいと願ってはいるけれど、
型にはまらず自由にゆるく生きられる環境を与えてあげたいなとも思っている。
そんなバリ島での子育てに奮闘している最中だったのですが、とある問題の発生によってスーパーお手伝いさんが仕事を辞め(というか辞めてもらい)その直後に旦那も出稼ぎのために日本へと旅立ってしまったのです。
期間は3か月間。
家事・育児のどちらも苦手な私の3か月間のシングルマザー生活がスタートしてしまいました。
コムスメンの学校が始まったり、洗濯物で山が出来たりと…これは想像以上に大変です。
どうなる事やら…また詳しくは次回に記事にしたいと思います。
今日は疲れたので早めに寝ようと思います、それでは良い週末にしましょう♪♪
お休みなさい。
この一か月半ほどPCをシャットダウンしていないという事態が続いています…。
仕上がった動画を夜な夜な変換して→次の日の朝ディスクを焼く…
もしくは編集の途中に眠たくなり→PCをスリープにして横になったら私も朝までスリープ…
といった感じです。
そんな風に、生まれながらにして南国病を患っている私でしたが、久しぶりに週6レベルで働いています、
フルタイムでは無いですが…。
因みに南国病というのは、出来る限り怠けたい、ダラダラしたい病気の事で、この国には大勢の患者さんがいらっしゃいますね…。
これに酒・ギャンブル・女…などが絡んでくるともう最悪です。
因みにインドネシアの女性は働き者が多い気がします、お手伝いさんは毎日朝から”掃除・買い出し・料理・洗濯”をしてくれています。
それに引き換え旦那は大体朝から居ません。
先週私が撮影続きでクタクタだった時にも、バリ島にビッグな波が押し寄せたとやらなんやらで、
行って帰って食って寝る、の繰り返しを堂々と続けてくれました…。
私は帰ってから家で編集もしたいので、コムスメンと遊んでてと頼んでいるのに疲れてベッドに倒れこむ有り様。
デカ波が去った後も写真を見てはニヤニヤしながら、「あーー、この日は3回死ぬかと思ったわー」とかぼやく旦那に言ってやりました。
「毎回死にかけたとか言いながら、いつまで生きてるんや…?」
逆でした。
これで3回死にかけたらしいですけど、死の影は見えませんけど…。
そんな日々の合間に、昔同じ会社で仕事をしていた同僚がバリに遊びにやって来ました。
昔の話をしているうちに、私が今の仕事を始めてからちょうど10年が経ったという事にも気がつきました。
(産前後の3年ほどブランクありますが)
そしてある事を思い出したのですけど…。
高校生の時に友人のおばちゃんである占い師の所へ時々通っていた時の事…
多分私達が気軽にかつ気を使うことなく行ける様にと、毎回500円で色々と占ってくれたのですが、
恋愛相談に関しては、「本当どっちもダメよこの人達、働く気も無いし、今後お金の事はあなたに頼りっぱなしになるわ、辞めときなさい」などなどと、毎回散々な判定ばかりでした。
↑この判定に関しては高校生よりもっと後の事かもしれませんが、、
その他、使える感覚としては味覚とリズム感だとか…
当時おそらく受からないと思っていたE判定の受験の結果も見事に当ててくれました。
いずれ遠くへ引っ越すだろうという事や、その他おばちゃんに言われてきた事があまりにも当たり過ぎていたのですが、
続く仕事に関して聞いた時には、「あなた、一番初めに就いた仕事をおそらく一生続ける事になるわね…」と言われていました。
「すごい枚数の写真が見えるわね、何これ、尋常じゃ無い数なのよ。でも学生のうちから写真なんかの勉強をしておくときっと良いわね」とも言われていました。
しかし勉強と言われても、当時の私は写真なんかに全く興味も無く、結局携帯のカメラすら使うことも無いままで、そんな占い師の言葉なども忘れていました。
ところが、パソコン好きの延長からビデオの編集を始め、ある日突然、人手不足で撮影をする事になっていました。
我ながら意外と続いたなぁと思っていますが、正直現場では体力の限界が近づいて来ているなとも感じています、
何せ暑さのせいもあって…。
そろそろもう一つの夢”アパレル関係”の仕事に一歩を踏み出す時期なのかもしれない、と考えてもいた矢先に、
ふとおばちゃんの言葉が蘇ったのです。
一生……???
そんな色々を見事に当ててくれた占い師のおばちゃんは、今はもう天国に旅立ってしまったのですが、
もし生きていればもう一つ聞きたかった事があります。
「この謎の人物との相性は…?」
「ダメよこの人、働らかないし!! お金のトラブルになるんだから、辞めた方が無難だわ!!」
と、私には天国のおばちゃんからの言葉が聞こえてきた様な気がしましたが、
全ての異性関係にNOといったおばちゃんの答えは、もう聞く事は出来ません。
あ、また逆でした…。
「何でやねんっ!! 私や、犬のくせに匂いで分かれやこのアホ犬…」
とか叫ぶ余裕ももちろんありませんでしたが、追いかけてくる犬に何とか噛まれない様に、慣れないバイクに乗りながらも必死で足を上げ”よし逃げ切った”と思った瞬間、ガブリとやられました…最悪です!!
またしても汚い画像ですみません…。
家に帰ってその事を告げると、お手伝いのスンバ人は「私もバリで噛まれた事あるけど大丈夫よ…」と呑気に言っていました。
旦那は自分のバイクをいじりに出かけたまま帰って来ないし…、いつもの様に一番正しい判断を下してくれそうなお隣の夫婦に意見を求めたら、「私を噛んだ犬を探してみて、もし飼い主がいるのなら”ラビエス(狂犬病)”の注射をしていたかどうか確認した方が良い」と、とても冷静な判断をしてくれたが、我が家に置いてあった太い棒を持って私の噛まれた場所へと向かって行く様子が冷静には見えず、また噛まれるのでは無いかという不安の中現場へと戻りました…。
そしてやはりまた吠えられた挙げ句、3匹いる犬のどれに噛まれたのかなんて覚えてもいなかったが、大型バイクのシートの位置まで達するジャンプ力がある犬はきっと”あの大型犬に違いない”と思い、聞き込みを始めた。
そしてその聞き込みの結果、その犬達ーズは何と野良犬だったという事が分かった。
現場の前の家のおばちゃんに事情を話すと、早く病院へ行った方が良い「丘の上の動物病院へ行きなさい」
と言われた。
動物病院っていうのは、動物だけの為の病院だと思っていたけれど、動物に噛まれた人も行って良いのか…。
まだまだ学ぶべき事は多いなと、つくづく思った。
しかし、狂犬病に関しての情報は意外と誰も把握しておらず、一刻も早ければその方が良いのか、きちんとした病院に行くべきなのか、何も分からない。
犬に噛まれた事のありそうなワイルド氏に聞いたものの、犬にはまだ噛まれた事が無かったそうで、動物病院では無いだろう、いや考えたら分かるやろう…という冷静な判断を笑いながらしてくれた。
数分迷った挙げ句に、インターネットで集めた情報によると”何度か注射に通う”必要がありそうあったので、家の近場のクリニックを回ってみる事にした。
だが数件の薬局やクリニックを回ったが、どこにも薬は無いと言われ続けた。
そして物は試しにと、ローカルの言う丘の上の動物病院にも言ってみたが、あいにく閉まっていたので、ちょっとホッとした。
そして結局、いつもお世話になっているクタのクリニックに行くと”ラビエス予防プログラム”を受けられることになったのだが、つい2日前に何とバリ島各地から犬に噛まれた患者だけで1日に15人もがそのクリニックに助けを求めてやって来たのだそうで、初日に受けるワクチンの半分の量なら回してあげられるよとの事だったが、摂取をお願いした。
なんでもデンパサールの一番大きい病院、サンラ病院にももうワクチンが残って無いのだそうで、犬に噛まれる人が続出しているのか、私もその一員になってしまったという事だった。
バリ島で行われている野良犬の撲滅活動を恐れた犬達ーズが犬語で「人間達に気をつけろ!!」と合図を出しているのでは無いだろうか…。
と、またもののけ姫の見過ぎのせいか妄想が膨らんでいます。
しかし実際にこの1ヶ月でもう4人もの人が狂犬病という怖い病気によって亡くなったのだそうで、発症すれば100%死んでしまう病気なのだそうです。
だからといって、むやみやたらに路上の犬を殺して回る政府のやり方は野蛮で腹立たしい限りです。
こうして、私は5回の狂犬病予防の注射を受ける事になりました。
最初の1週間に4回の予防接種に行き、その最後の日から2週間後にもう1本を受けて、プログラムは終了です。
費用は1回Rp.40万(4000円位)×5回、合計Rp.2jt(2万円位)です。
死ぬかもしれないという恐怖に比べれば全然安いですが、こちらの物価にしては割高だと思います。
国立病院などではこの注射を無料で摂取してもらえる様な制度もあるそうですが、今のところはワクチンが不足しているみたいなので、犬や猿に噛まれないように気をつけるしか無いですね。
夕方家に帰って一息つくと、バイクの持ち主夫婦と、義理の妹、お手伝いの皆が心配そうに「どうだった?大丈夫だった?費用はいくら?どこの病院行ったの?」と代わる代わるに質問して来ましたが、コムスメンだけは「ディギーギーッ、アンジーーン、ウケケケーー」(=犬に噛まれたって〜)と、よく分からない振り付けをしながら笑ってました。
私が青ざめた顔で病院を回っている間中、たまたま我が家にいた皆は”犬に噛まれた私”の事を笑いものにしていた事は間違いなさそうです。
その後私の知らない間にガソリンを足していてくれた。
そんな事をニコニコ笑顔で当たり前の様にしている彼、一方の愚痴がおさまらない私…
同じ外国人なのにあまりにも私には甲斐性が無い気がして、情けなくなった。
そしてジャランジャランはまだ続く。
「海なんて、スンバの方が数倍キレイだよ」と義理妹は言っていたのだが、こっちの海も見てみたいという事で、夕方のビーチに行ったのだが、海よりも海の前に建てられた石像に「凄いわー、立派だわー」と言って感動していた。
何がツボなのかよく分からないけれど、いつか義理ママを日本へ招待する機会があれば、奈良はマストチョイスだなと思った。
こうして無事に終えた”ジャランジャラン”の帰り際、小腹が空いたので、サテ(焼き鳥&ヤギ)でも食べようかという事になり屋台に寄った。
私たちがサテを待っている間にクールな彼がすぐさまビールの買い出しにコンビニへと戻ったのだが、どうやらビールを見つける事が出来なかったらしい。
(インドネシアでは5月から法律の改定により、コンビニなどの小さな店でビールを売ることが出来ない様になっているが、観光地のバリ島は一部免除されている。)
そしてそれまではとてもクールに見えた彼が、とても感情的になって、
「俺はもしビールが無いと分かっていたら、晩御飯にサテ(焼き鳥)を選んでいない…、何でビールが無いんだ!!」
と言い始めた。
ニコニコ笑い、愚痴をこぼさず支払いを全て済ませる彼だけれど、実は彼の頭の中は波とサーフィンライフの事で一杯な事を思い出し、私もちょっとほっとした。
とてもよく分かるけれど、ここはインドネシアだから私達がルールに従うしか無いんだとなだめ、
小さな屋台で視線攻撃を浴びながら、ビールの妄想にふけり、静かにサテを食べつくした。
その音源は何と義理ママの新型スマホから流れたメールの着信音だったのだ。
「トッケィーー♪♪」って…新型スマホの着メロがトッケイだなんて…滑稽過ぎで笑えた。
田舎に帰ったら本物か着信なのか絶対に分からないだろうし。
そんなこんなで、相変わらずアメイジングなこの方達と2日間を過ごすというこの難関を私は乗り越えられるのだろうか。
後半戦へと続きます。
旦那の方はというと、近所に最近オープンしたばかりの人気の無いワルン(食堂)の前を通る度に、「あの店大丈夫かなぁ…」「残った鶏肉どうするんやろう??」とかつぶやきますが、そんな事よりも、
「自分のこと心配せぃぃっ」。
ところでタイトルの件ですが…時々日本からバリに来たお客さんや友人と一緒にお土産を買いに行く機会があるのですが、私の知る限りでは”遊び人(だと思われる)男子”は女の子へのお土産に必ずと言って良いほどコスメを選ぶのです。
アロマ石鹸・ボディスクラブ・ボディローション etc
しかもばら撒き土産用なのか同じものを何個も買っていたりするのです。
初対面だったお客さん複数名に同行した時も、その中の”この人はきっと…と思った男性”に限ってカゴいっぱいに入れていたのはやっぱりコスメ。キタ!!
そしておそらく遊び人であろう友人に、「女の子へのバリ土産はいつも何を買うの」と聞いた時も、「コスメとかかな…」とほらほら、キター!!
そこで一緒にいた友人も「俺もコスメかな…」と相槌、ほらまたキタわーー!!
ところで遊び人の友人はやっぱり遊び人なのか?? いやそれは違うのか…。
そんな事が気になり始めて以来かれこれ一年が経ち、私の中でようやくその答えらしきモノに辿り付いた。
私の独断と偏見なのだけれど、遊び人がお土産にコスメを選ぶという訳ではなくて、
女の子へのお土産をコスメにしようとあれこれ考えたりする様なコマメな男子が結果”遊び人”にもなれるのでは無いのか…という結論に辿り着いたのだ。
そしてそんなコマメなコスメ男子からバリのお土産にコスメを貰った女子たちよ、
あなたの貰ったコスメをまさに他数名の女子達も使っている可能性アリ、気をつけよ。
因みにこれはお土産にコスメを一度も(というか男子からお土産すら)貰った記憶の無い私がひがんでいる訳では決して無いぞ。
そして、バリでお土産用のコスメを買いあさるコスメ男子に告ぐ…
すっかり定番の、お風呂上がりの半乾きな髪の毛につけるオイル、乾いた後の女子達のサラサラな髪の毛にさわろうなんて、やらしい魂胆はみえみえなのだ!!
定番の粒粒タイプは確かに高級感があって良いが、ロングヘアー女子が毎日ヘビーユーズしたとしても3ヶ月はもつであろうこっちのボトルバージョン。
?mustikaratuのhair oil "Cem Ceman"
これをお土産に選ぶと良いのではないだろうか…という事で、カットケ。
オーガニックな森の匂いとでも言おうか…大容量で値段も300円未満なり。
続くはこれボディーローション、すべすべになった女子達の肌に触れようなんて魂胆はみえみえなのだよ。
お土産ショップでフタを開けては匂いを嗅ぐ姿…あぁいやらしい。
そのうち匂いを嗅ぎ過ぎて何が何だか分からなくなっている事を、そこの化粧の濃い店員さんにも悟られているの、気づいてないの??
まぁ迷ったときは、男子にも女子にも好まれるこの、
?Vaselineの"aloefresh"これで良いんじゃないのか、USとかにもある気がするけど…。
因みに価格は150円ほど、日焼け止め効果のあるタイプのものでも300円程度でコンビニなんかにも並んでいるので、カットケ。
そしてオーガニック女子なら絶対嬉しい虫除けローション。
ただし夏場に限る…。
こんなのをお土産に選んでいる上級コスメ男子は、全ての女の敵である。
蚊以上に女子達を狙っているのは紛れもないあなただという事を私は知っているのだよ…。
しかし目の付け所はとても良い、市販の虫除けにはDEETというケミカルな成分が入っていて脳によくない(らしい)。
そしてそういう事をオーガニック女子はとても気にかけている。
バリで売られているオーガニックタイプのものを色々試したけれど、オイルタイプのものはべたべたするのでイマイチだ。
そこでこれ、
?KONICAREのLOTION TELON ローションタイプ、これがおすすめ。
価格も150円〜250円程度で、外国人の好きそうな薬局で販売されているのでカットケ。
そしてこのダウンという木の葉っぱから作られた歯磨き粉
?mustikaratuのpasta gigi ”Dawn sirih”
これを女子へのお土産にばら撒いている様な男子は、もはやこの世の敵である。
そのフレッシュになったブレスはあんた達のものではない。
体の臭いを消すという目的で、昔から現地の人に親しまれているSirihの葉っぱの効果は絶大。
だがこの歯磨き粉を置いている店は意外と少ない。だから見つけた時点でとりあえず…カットケ。
価格は確か300円程度。
そしてこんなに丁寧なコスメの説明に対してもチンプンカンプンであろう、コスメとは無縁の”非コスメ男子”に告ぐ。
色んなコスメを探し回り、くんくん臭いを嗅ぎまわり、慣れない事をするのは無理がある。
そんな事するよりも、あななたちはこの世の”コスメ男子”達がどれだけLINEやメールなどのツールに精出しているかを知っておくべきである。
コスメ男子達の中には、自分でLINEを終わらせないレベルにメールのやりとりを徹底している人もいる。
どうしても終わらせたくなった場合にはスタンプ攻撃だ。
テキストは20文字以内の非コスメ男子達も、少しはコスメ男子達を見習って気の利いたスタンプをダウンロードでもしてみてはいかがだろうか…。
20文字ってポケベルじゃぁ無いんだから。
だけど私は個人的にはそんな非コスメ男子の方に惹かれる…どうでも良いが。
話はそれたが、そんな非コスメ男子達も、今話題のココナッツオイルやそれ関連の商品たち、370mlで1000円近く…と少々値段は張るが、これでコスメ女子の心もオーガニック女子の心もグッと掴めるハズ。
飲み屋のお姉さんも達も喜ぶこと間違いない!!
そこで、パッケージングにもこっているこのラインナップ、
?Coconaのココナッツオイルとボディローションとシャントリ…この辺りをとりあえず5−6個適当にカゴに入れてレジモッテケ!!
ただし、マッサージクリームまで貰って、背伸びした”非コスメ男子”が「俺がこれ使ってマッサージしてあげるよ」なんて言ってしまった日には”ドン引き”される事確定なので、わきまえよ。
場所はスミニャックスクエア付近。
そんな感じで、男子からのコスメは貰ったことはないけれど、個人的に日々コスメを調査したりしています。
へたれな私は目覚ましをかけて起きる事へのプレッシャーを感じていた。
そしてそんな日に限って夜中の3時にYoutubeを一通り見終えた旦那が、寝室に蚊帳(かや)を張り出した。
どうせ張るならもっと早くに張ってくれ!! 私、もう腕刺されてるわ…。
それに起こされ…、何故か寝付けず…、よく寝たのかどうかもよく分からないまま朝を迎えた。
まだ二人の寝静まっている中、静かに顔を洗い、歯ブラシを取ろうとしたその瞬間、何故か私の歯ブラシが2本に増えている〜!!
ちゃうちゃう、旦那が私と同じ色の新しい歯ブラシを下ろしたみたいなんだけれど、
何でおんなじ色にしてーーん!!
しかも仲良く並んでる…。
他にも同じ種類の別の色もこんなにあったのにさ…、何でよりによっておんなじ色のん選ぶねん。
大体、毎日歯ブラシする度に私の歯ブラシの色くらい見てるやろ〜っ!!
まぁどっちにしてもあなたに似合う色は確かに無いけどねっ。
ほんでこれからどーやって歯ブラシ見分けるねんっ。
使用感かいな…そうか、使用感かいな!!!
ちなみに歯科の友人のおかげで、我が家の歯ブラシのストック率はけっこう高い。
それにしてもこの中からよくも同じ種類の同じ色を選んでくれたもんだな。
とまぁこれごときにイライラしていると、まるで私の心があまりにも狭いのかと思われそうですが、
こういう小さな事が本当に毎日の様に起こるのです。
振り返れば、生まれてからの26年間程は本当にイライラという言葉の意味が分からなかったほどイライラ知らずな私でしたが、
それがこの彼と出会ってからは、ようやくその感情に出会うことが出来たのです。
そういえば、付近を見渡す限り寛容そうな妻たちばかり…特にインドネシア人の奥様方…。
干渉しない、期待しない、考えない、
この今考えた”3ない作戦”を掲げていこうと思います。
ところで、しばらく不在だった旦那とコムスメンでしたが、前回のひき逃げ事件から数日後、スンバ島から無事に帰って来ました。
そして私の腕の傷を見るなりコムスメンは心配そうに「イタイイタイ??」と聞いてきました。
3歳になって遂に親の心配までしてくれる様になったのだと、数週間ぶりに出会えたコムスメンを目の前にジーーーンとしてしまった…その瞬間、
「チョチョチョチョチョーーン!!」
と、セリフ付きで傷のイタイ所を指で突っつき始めたのでした。
挙げ句の果てには暴走三輪車に足を踏まれる始末。
盲点でしたね…、想像以上に痛かったです。
暴走する三輪車にも気をつけたいと思いました。
雨季なのにまるで乾季の様な最近のバリ島。
数日前のエアアジアの事故の件があり、機内にいたほぼ全員がお決まりの”お祈りモード”でした。
同じ日にジャワ島のマランへ飛び立つ義理の妹も、出発前に”恐い恐い”と電話をかけてきて、緊張を私と無理やり共有して来ようとしていたみたいですが、飛行機が落ちるよりも”バリで事故に遭う確立の方がよっぽど高い”ねんから大丈夫!! となだめておきましたが、私だって本当は恐い!!
そして定刻通りにはやっぱり飛ばない飛行機に乗り、一時間のお祈りの後たどり着いたスンバ島は、空から見てもやっぱりまだ何も無い。
着陸の時に機体が1メートルほどバウンドしたけれど、挨拶で機長はそこには触れず、いつも通りに「welcome to Tambolaca airport...」そして挨拶の最後に「Happy new year 2015...」で締めくくった。
あまりにも広がる田園風景の中で2015年と言われた瞬間急に切なくなり、バリで友達とにぎやかに新年を迎えて、スンバに来るのは年明けでも良かったのではないかと、自分の決断が少し悔やまれた。
飛行機と思ったのは実はタイムマシンで、私はそれに乗って1000年位前に来てしまったのかもしれない…とか、雨季の閑散期による映画の見過ぎだという事は確か。
ヒマで作ったNEW YEARカード その1
コテージを建設している村にもうすぐ電気が来そうな事…
途上国の子供達は相変わらず笑顔で水汲みをしている事…
いつもわがままなコムスメンがスンバの食事については全く文句を言わない事…
ヒマで作ったNEW YEARカード その2
改めて感じた”文明からの断食生活な日々”の事を色々書きたいのだけれど、帰ってきたバリ島で私のバリ生活の中でも結構ワーストランキングにノミネートされるであろう、悲劇が起こってしまったのです。
仕事帰りのバイパスで、何と私”ひき逃げ”されてしまいました。
相手は車で、私は単車です。
私はT字路を下から右折し、右車線に入り走行していた所、左車線を直進して来た車が交差点を過ぎ、何故か右車線へ車線変更と同時に、横からボディーアタックをかましてきました!!
何でやねん!!!その一言ですホント…。
白くてデカイマッチョなボディーアタックに負けた私…。
その直後バイクは何処かへ転がり、私も何処かへ転がり、ふと顔を上げると後続車のヘッドライトが見えました。
ひかれたらマジでヤバイ!!そう思って必死で路肩に逃げました。
その後バイクを止めてたくさんの人達が私を見物&救出に!!
しかし、犯人は止まる事なく逃げて行ってしまったみたいでした。
怖かったのと、悔しかったのと、コムスメンを乗せて走った事もある道だった事…
頭が混乱して、よくバイクで転んだインドネシア人がしている様に、路肩で大泣きしてしまいました。
もちろん一瞬の出来事だったので、ナンバーどころか車種も分かりませんでした。
思い出せるのは白くてたくましいボディーのみ…。
事故を目撃したオジサンはとても親切な人だったけれど、欲を言えば私がアスファルトに転がった回数を数えるよりも、車種やナンバーを見ていて欲しかったな。
隣の友人に車で迎えに来てもらい、病院へ直行しましたが、安心して車でまた大泣き…。
不幸中の幸いな事に、仕事用の長袖・長パン・靴・それにフルフェイスのヘルメットを被っていた為、表に見える傷はかすり傷程度で済みました。
そして、免許も切れていなかったので、保険も適用されました。
打撲とムチウチは多少残りそうですが、サーフィンでも年に2〜3度はある程度の症状なので、悔しいけれどまあ許せる範囲です。
こうして、インドネシア在住における”未解決事件ファイル”がまた一つ増えました。
皆様、事故にはくれぐれも気を着けましょうね、特にバイク移動の方はヘルメットにはお金と金具をかけましょう。
心のシートベルトも忘れずに。。。
その後親戚の家へ挨拶へ繰り出し、共にお茶を飲み、それを延々と繰り返す…という感じの一日となる。
そして西スンバに関しては夜には、多くの家庭では○料理が振る舞われる事になる。
因みにこの○料理については今回は触れないでおきたい。
おそらく経済的な理由もあり、鶏料理だと十分な量が用意出来ないからなのだと思うけれど、
一方の○料理だと一人あたりの肉量も増えて満足できる…という事なんだと思う。
旦那も小さい頃に家で飼っていた○を行事のために屠殺され、大泣きした事もあるそうなのだけれど、
スープになり皆が笑顔になると自分も泣きやみ一緒に食べたのだそうだ。
因みに、私たちが日々気軽に肉を口にする様な感じでは無く、
大人も子供も本当に待ち望んでの肉料理なので、そこは思い入れが違うし、簡単には私たちの感覚とは比較は出来ない。
だが、小さい頃から育てたペットの様な牛・豚・鶏・○達に餌を与え、生活を共にし、
それでもその肉を美味しいと思えるのは、その島で暮らすことが肉体的や精神的にかなりのエネルギーを必要としている事もあるからだと思う。
スンバ島の生活は、想像以上に過酷なのだ。
私は交際期間に旦那から聞いていた色々な”リアル スンバの話”を半分冗談だと思って聞いていたのだが、
住んでしまって色々な事が真実だと知ってしまいショックを受けている。
中にはブログになんて書けない事もあるが、この○料理に関しても、私は明かすことは出来ない…ワーン。
そして、私がスンバ生活を挫折した事に関しても多くの理由があるけれど、この○料理に関してもどうしても受け入れられなかった事の一つだ…ワーーン。
おそらく動物愛護団体からの非難も浴びそうだし、何よりも私の周りにもたくさんの愛○家の皆さんがいるので、私は決してこの○料理に関しては口に出来ませんが、
愛○家の皆様の中にもしスンバ島に興味がある方がいらっしゃったとしても、決してクリスマスの日には訪れない事をお勧めいたします…。
ところでその前日、12月24日のクリスマスイブと呼ばれているこの日…
朝から冷たい水に浸かり、
いつも来ているイケメンサーファーは海の中には浮いていない事を確認してやっぱりなと頷いてみたり、
嫁も子もいるのにこんな日にもサーフィンをしているあの人は一体何なんなのだろうと思ってみたり、
ぱっとしない感じのいつものサーファー君が海に浮いていることに妙に納得したり、
かと思えばぱっとしない君の車には彼女が待っていてハッとしたり、
自分の車に戻って誰もいない事が急にむなしくなったりというストーリーを日本の海で何度感じた事だろうか。
そして、その日に出会った女子とは妙に気が合いそのまま飲みに行くことになったり、小さい頃からこのクリスマスという日が特別だと思って過ごして来たからこそ、私の過去の記憶にも割とその日の思い出が残っているのだと思う。
クリスマスを一人で過ごす事を淋しいと感じさせてしまう日本(やその他欧米諸国)のノリ!!
過去の経験を含めて書きますが、淋しい方の身にもなってくれよと言いたい。
明るい部屋からは暗い部屋は見えないけれど、
暗い部屋からは明るい部屋がはっきりと見えてしまうんですよ。
こんなにも世間がお祭りモードになっていなければ、淋しいと感じ無いはずの人もたくさんいるのでは。
元を辿ればクリスマスのこのノリもただの企業戦略では無いんでしょうか?
確かにいつも以上にモノが売れ、レストランも満員、町はツリーで溢れ、おもちゃが品切れ、
予約せずにホールケーキを買うことは困難、カップルはラブラブ…だなんて。
本来クリスチャンのクリスマスは、お祈りをして親戚の家に挨拶に行ったりして、
後は家族とゆっくり過ごすもので、デートしたり、デコレーションケーキやシャンパン飲んだりでもなく”神聖なお祈りをする日”なんですよー、本当はねー…と、誰に向かって言っているのでしょうか…きっと卑屈な自分です。
そんな先入観と共に迎えた一人ぼっちのクリスマスイブでしたが、一人で向かったパンダワビーチは良い波がブレイクしていそうな感じだった。
バリ島はヒンドゥー教徒の島なので、クリスマスモードにならない事に少し感謝をしていたのだが…訪れたパンダワビーチでは予想外にもクリスマスのイベントやっていて、でかいツリーが飾られた上にクリスマスソングが流れていたりして、インドネシアの欧米化をまた実感した。
そして多国籍のゴリラサーファー達に混じってサーフィンをしていたのですが、セットが少なくなかなか波に乗れないでいました。
海の中はほぼ白人達で和気あいあいとしていたのですが、そこへ色がダントツで黒いゴリラボスみたいなサーファーが入って来ました。
彼はマナーが悪く、前乗りをしまくっていたのですが、何故かとてもフレンドリー♪だから誰も彼を憎めない感じでした。
やはり、人柄が良いと少々ミスをしても許されてしまう事が多いんですよね、人生って…。
旦那にももう少し要領よく生きて欲しいなと願います。
話が飛びましたが、そんなゴリラボスにはなるべく近寄らないでおこうと距離をたもっていたのですが、たまたま私の所へやって来た波と私に向かって「Go Go」と言い波を譲ってくれたのです。
そしてその後の会話で、サーフスクールとガイドを仕事にしているらしい彼は、職業病なのか私の板をプッシュし始めてくれたのです。
おかげで数本の良い波に乗れました、あぁ〜なんて優しいゴリラ!!
今日の私の一番の波はあなたの押してくれた波だった、ありがとうサンタゴリロース♪♪
今年のサンタクロースは間違いなく貴方です、なんて良いゴリラボス、ゴリラと呼んでごめんなさい。
そして、いつも以上に疲れたサーフの後、海から上がって携帯を見ると、友人のMりんが私をイベントに誘ってくれていた。
これで一人ぼっちの淋しいイブを過ごさなくてすむのね…。
その後は美味しいご飯とお酒、そして友人と音楽の中で楽しい時間を過ごせました♪♪
ありがとうMりん、今年のサンタクロースはやっぱり貴方です。
Audiの新車の広告がじゃーーんと、登場しました。
新作のムービーの宣伝かと思って期待したのですが…、ツートンのオサレーな車でした…私も乗りたいです。
昨日は朝からバイクでずぶ濡れになり、黒服・黒パンをオフィスの狭いトイレで着替える羽目になりましたが、
インドネシア人たちは豪雨の中、平然とバイクに乗りかつ服も濡らさない人が多いですよね。
カッパの着かたの違いでしょうか…?まだまだ学ぶべき事はたくさんあるなと感じる今日このごろです。
ところでタイトルの件ですが、この前ATM利用後にキャッシュカードを取り忘れるという大失態を犯してしまいました。
バリのATMにはお金を引き出した後にキャンセルもしくはコンティニューという画面が出てきて、キャンセルボタンを押すまではカードが出て来ない仕組みになっているものがあるんですが、その画面を放置したまま帰ろうとしても、ピピーというお知らせも鳴ってくれない場合が多いのです。
そしてそれはどういう事かというと、もし次に誰かがそのATMを使用して、「あっ、カード取り忘れている!! ラッキー。」と、コンティニューボタンを押したならば、暗証番号無しでも引き続きお金をおろす事が出来てしまうのです。
(確か私のカードでは一日の上限5万円程度まで…)
ATMでいくらまでおろせるのかはカードにもよりますが、クタ界隈のATMにはこういう失態を犯した人を狙ったギャング達が常にATM付近にタムロしているそうで、私はクタのATMは利用しない事にしていますが、私がやらかしてしまったつい4日後に、近所に住む元銀行員のおっちゃんも同じジンバランにあるATMで同じ失態をやらかし、彼はかなりの額を引き出されてしまったそうです…。
私がおっちゃん宅に車を借りに行った時に、おっちゃんは笑いながらその事を話していましたが、元銀行員なのにその辺はもっと気をつけた方が良いのでは無いかと思います。
最近買った新車を正体不明の外国人(私)に貸してる場合じゃ無いですよ!!
もっと危機感を持って老後の生活を楽しんで下さい…と、説教したくなりました。自分のことは置いといて、、
幸い私の口座はギャングの餌食にはなっていませんでしたが、紛失したカードは行方不明のままで、とりあえずカードは止めてもらい、先日家の近所の銀行にカードの再発行をお願いしに行った所…
「お客様の口座はクタの銀行で作られたものなので、口座を作った銀行に行かなければ再発行は出来ませんよ。」と綺麗な銀行員のお姉さんに言われてしまった。
そして仕方なく重い腰を上げてクタの銀行に行ったところ、今度は…
「ここで再発行は出来ますが、紛失した場所の最寄りのポリスからの紛失証明書が必要なので、ジンバラン付近のポリスに発行して貰って持って来て下さい」
と言われてしまい、逆戻り…。
だったらジンバランの綺麗なオネイサンはクタの銀行に私を誘導する前に、何故その事を教えてくれなかったの??? と、この人にまた言いたくなりましたが、そもそもここはインドネシア…。
そんな気の利いた人に出会える確立なんて低いですよね…低いんですよね。
諦めてジンバランに戻ったものの、その日はタイムオーバー。
そんな面倒くさい用事を先延ばしにして、ようやく昨日ポリスステーションに行ってきました。
辿りついたNUSADUAのポリスステーションに入るなり、またしても暇そうなポリス5人に取り囲まれ、事情徴収をされる事数分。
事情徴収の主な内容は、いつからバリに住んでいるのか?どこで仕事しているのか?
それに続きポリスの一人が得意げに片言の日本語で私に問いかける…。
「フンシツーブツはー…何デスカー?? 」
だが、最近というかバリに再移住してこの1年半は、このようなローカルからの質問攻めを一撃で交わせる切り札を私は持っているのだ。
結婚しているのか?という質問に対して「旦那がスンバ人」という事実を告げると、教養のある人は90%の確立で去っていく。
この一言「旦那はスンバ人」に対する反応を、私は時に便利に、そして時に悲しく感じる。
先月のサヌールでのダイビングショップのオーナー殺害事件…、ジンバランのMacD周辺で起こった半殺し事件…、この平和なバリ島で起こっている数多くの事件にやはりスンバ人が関与していて、警察ならばそんな事はもちろん承知の上なのだろうと思う。
この日も例外なく私の周りから去っていく警察官たち…そんな空気に耐え切れなくもなるが、島に戻れば紛れも無く刀を刺して歩いている民族の一人だという事を思い出す。
(因みにスンバでは西と東とでは生活様式も性格も異なるのだが、東の方は割と温厚な性格の人が多く、旦那の出身地の西側は性格の荒い方が多数いらっしゃる。)
スンバに対するイメージが良くはないのは承知だけれど、私は何も悪い事はしていないのに、ひとくくりにされてしまい感じる疎外感…、
普段は温厚で誇りを持って生きているスンバ人達に対する偏見を作ってしまった彼らもまたスンバ人な訳なのです…。
そんな事をあれこれ考えている間にも、担当のポリスは作業を進めるもなかなか終わる気配もない。
いつも通り調子の悪い(らしい)パソコン前に座ったオジサンは、なかなか人の良さそうな人で、真面目に仕事してくれて安心した。
それにしても、バリの警察にあるパソコンは何故いつも調子が悪いのだ!!
何ならパソコン修理に長けているバリ人呼びましょうか??と言いたい所だけれど、その辺は気長に待つ。
これこそバリで生きていく上で必要な心の広さ、そして気の長さだと思う。
そして数十分後…
はい出来たよ〜と自信満々なポリスの作った証明書にサインして、ハンコを押して貰い、作業は無事に終了した。
「料金は??」と不安に尋ねる私…。
料金とはもちろんチップの事なんだけれど、小銭でかき集めたRp.50.000(約500円)の入った財布と、もしもの時のためのRp.100.000も別の財布に用意していた。
すると担当のポリスから意外な反応が返ってきた。
「お金?? いらないよ…、だってATMのカードが無くなって、お金下ろせないんでしょ???
しかも銀行は明日もガルンガンで休みだよ。」
と、何とも意外な答えが返ってきたのだ。
警察ってチップを当然の様に要求してくるものだと思っていたので、私は拍子抜けした。
そして、もう一人の大きな椅子に座っていた所長っぽい人にも念の為「お支払いは、要らないの??」と聞いた所、
「雨が降りそうなので早めに帰った方が良いよ!!」とまたしても意外な答え……。
優しい、今回は優しすぎる、久しぶりのまともな対応にジーーーンと来てしまった。
「チップをいくら要求しても、スンバ人の旦那は攻めてきたりしませんよ〜」とか、ブラックジョークを残して行こうかと思ったのだが、うけなかったら最悪なので辞めておきました。
帰りもバイクのパーキングまで何故か見送ってくれ、久々に良い気持ちでポリスステーションを後にしました。
次回また物を失くした時には、バイパス沿いのNUSADUA POLICEを尋ねようと思います。
1年前に現金を袋ごと落としてしまった経験がある。
けれどその現金は奇跡的に見つかって、私の元に戻って来たのだ。
詳しくはこちらの記事↓↓
落とした5万円が、見つかった!! BALI
しかし旦那は今回財布を落としたのが”クタ”エリアだったそうで、それならもう見つかる見込みは無いだろうし
「諦めたほうが良い」と告げたが、その日一日旦那のテンションはどん底の海に沈んでいた。
ベッドに転がってYoutubeを見ながらも何だか黒いオーラが漂っていて、
たまにぬそっーと立ち上がり、深海魚の様に静かに部屋を横切るのが暗かった…。
コムスメンは最近はまっている”まるちゃん”の主題歌、ピーヒャラピーヒャラを歌い続けているし、それが何とも滑稽なのだった。
けれど、中にいくら入っていたのかを尋ねると Rp5.000(約50円)だったそうで、
よくまあその金額で街中までドライブ行けるよな…と感心した。
途中でタイヤがパンクでもしたらどうするのだろう、Rp5.000では今や一回の食事も出来ないだろうし、どうせならば財布ごと置いて出かければ良かったのになと思った。
キャッシュカードやSIM、KTPも全て財布に入っていて、それを作り直すのがかなり面倒なんだと言っていたけれど、それ以上に長年愛用して来た財布が無くなった事がショックだったみたいだ。
そして迎えた次の日、旦那の携帯にある一本の電話が入った。
相手はティモール人の男性で、昨日JL.MATARAMで財布を拾ったけれど、何にも入って無いから返すわ!! と告げられたそうだ…。
なぜ電話番号が分かったのかを尋ねたところ、中に入っていたGarudaのマイレージカードを見て、オフィスに問い合わせをしてくれたのだそうだ。
日本ならば電話番号を本人に伝える前にGarudaからお客さんの方にまず連絡が入りそうなところだけれど、まぁその辺はインドネシアなので仕方が無い。
電話の人と待ち合わせ、財布を受け取り、そして気持ち程度のチップを渡し、記念撮影をして一件落着。
KUTAのしかもJL.Mataramという決して治安が良いとはいえない場所で、いやかなり治安が悪く干している洗濯物でさえも無くなると言われているローカルエリアで落とした旦那の財布が見つかったのは、まさに奇跡だったと思う。
今回見つかった財布
旦那が持つとよくバリで売られている偽物にしか見えないが、日本で買った本物らしい…。
そしてコムスメンのサンダル、
バイクに乗せている間に2回とも左側だけ落としてしまった…。
旦那の財布よりも私の中ではショックだった。
もはや終わっているのでしょう…。
話は戻りますが、確かにクタ界隈でこの組み合わせを見た場合、ジゴロにひっかかっている女性である可能性は否定出来ないのだが、たとえそう思ったとしても口に出す事では無いと思うし、その前に一緒にいたのが私の旦那だったらこの問いかけに対してスルーされてはいなかったと思う。
本当、一緒に居たのが大らかなローカルの男友達で良かったなとつくづく思った。
それにこの彼は普段から日本人を相手にガイドをしているので、その辺もあっさりと聞き流し、その後も適当に喋ったりもしていた。
この時彼の事をフォローした方が良いのかなとも思ったのだけれど、ここで私が口を出すのも何か違うような気がした。
何といっても相手の観光客の人たちは南国にたった数日間の旅に来ていて、生活しているのとはかなりの温度差がある事も十分承知だったので、彼と同様私も聞き流す事にした。
そしてもやもやした気持ちを多少引きずりながらも、私は引き続きナシゴレンとビンタンビールを静かに堪能していた。
その後、一通り食事を終えてトイレに立ってまた戻って来た時、そのジゴロ呼ばわりされた男友達は、
私の分まで会計をささっと済ませてくれていた。
因みに私のトイレはそんなに長くは無い。
ところで数年前までは外国人が会計を…という風潮もあったけれど、最近は経済成長のせいなのか、ローカルが土地を切っては売って大金を得ているせいなのかは定かではないが…こういう現場にも少なからず出くわすバリ島。
かといってその日の私に関しては、食事をおごられる様な覚えは無かったし、ビンタンを飲んだのは私だけだった…。
多分、聞きはしなかったがこれは彼の静かな反論だったんだと思う。
俺はジゴロじゃ無いという。
理由はともかく、私はその友人のスマートな行動にはっとした。
そして私もそこは「ごちそうさま」の一言で済ませておいた。
ところでインドネシアでは”持っている人が出す”という風潮が根付いているので、それが外国人であろうがインドネシア人であろうが、基本的には出す事、出してもらう事に大きな抵抗は無い。
帰り際に失礼男に「じゃあお先に」と挨拶しておいた。
テーブルを見る限り、男友達の事をジゴロ呼ばわりした彼はゲコだったみたいだ。
「そしてさらに、今日は何処まで行くの?!」と相変わらずなテンションで失礼な台詞をまた一言つぶやかれた。
私はそんなに飢えたオバハンに見えたのだろうか…、だったとしたら反省したい。
「いや、全く飲み足りないのでこれからもう2件くらい飲みに行きますよ!! 良ければ一緒にどうですか?!」と私もそれなりの捨て台詞を吐いておいた。
そんなこんなで、ジゴロ呼ばわりされた彼のスマートな対応を素敵に思いつつ、
男あさりのオバハン扱いされたある日の晩御飯での出来事だった。
何はともあれこの日のジゴロ呼ばわりされた友人は、間違いなく隣の失礼なゲコ野郎(←暴言で失礼…)よりはよっぱど格好良かったと思う。
そんなこんなで、インドネシア料理ってどんなん?とたまに聞かれるので、最近撮った写真をUPしておきます。
ミーゴレン
ソトアヤム
アヤムベトゥトゥ
サテアヤム
プルプッ+サンバル
ピサンゴレン
因みにこれはレストラン撮影の時に撮ったやつなんで、
普段私が食べてるローカルフードとは見た目が違います。笑
]]>改めてあの時見たのと同じ真っ青な海を見ながら、当時の事を少し振り返りました。
崖の下に見えるのが小さな漁村
あの日流されながら色々と考えた中の一つに”前日出会ったインドネシア人”の事もありました。
海に入る直前も、「今日何処で入るの?!」とか、よく覚えていませんが電話で少し会話していました。
もし私が生きて還れなかったとしたら、あの人は私が流された事をいつかこの場所にサーフィンしに来た時にワルンのおばちゃん達から聞いて、知り合いレベル(しかも前日からの)なのでそんなに悲しむ事も無く、だけどビックリもするのだろう…とかも少しだけ考えました。
村までは徒歩15分以上のハードな道のりです。
それに、右にこけるとヤバイです。
そして2時間の漂流から無事に戻れ、次に再開した初めてのデートの時に、彼も同じ時間に別の場所で板を真っ二つに折っていたという事を聞き、これは”運命なのかもしれない”と思った当時の私は、無謀な波に突っ込んだ事以上に馬鹿だったとつくづく思います…。
けれどあの時に還って来れたおかげで私はまたここに戻れ、今はもう一つの命も誕生しています。
「ここは昔お母さんが死ななかった場所なんだよ」と、もう少し娘が大きくなったら教えてあげたいなと思います。
本当に生きて戻れて良かったと思います。
そして改めて訪れたこの”上陸ポイント”は、もし死ぬ場所を選べるのならここにしたいと思える位に綺麗な場所でした。
道が無く、漁村へのアクセスは船らしい。
残念ながら村人はいまは誰もいませんでしたが、当時は30人ほどの大人達と子供達に出会いました。
そして帰り道、ハードな上り坂は暑すぎて倒れそうになりながらも必死で歩きました。
今度は左にこけるとヤバイです…。
そんな中で色々な刺激を受けて生活するのはとても魅力的です。
仕事でも、本気の趣味でも、暇つぶしでも、
アートな心を持って日々を過ごして行く事が出来れば良いなと思っています。
しかし、暑いのに寒い。
体が南国化していてどうしようもありません。
という事で、ちょっくら日本に帰国して来ます。
どちらかというと”でっかい家”を建ててくれたほうが嬉しいのだが。
旦那も昔は水を汲んで運んだり、とうもろこしをむいたり、魚を売ったりと、
働き者の子供だったそうです。
ところで話は戻りますが、そんな2組のボランティア団体の代表の方は、それぞれ偶然にも私のブログ・ホームページを訪問して下さったのがきっかけで連絡を取り始めました。
そして今回、立命館大学探検部の洞窟調査チームの方と、バリ島でお会いすることが出来ました!!
最初に私が一番驚いたのが、スンバに行くチームに女性が2名もいたという事!!
こんな可愛い女の子達がスンバに行って大丈夫なのか?と思い危うくひきとめそうな”オカンの心境”になりそうでしたが、
さすが探検部員だけあって、話の内容や雰囲気からも志の強さを感じました。
会う前は皆私より10歳近く若いだろうから、年齢のギャップは大丈夫かな、メールのあいうえおに小文字とか使ったりする世代だよな…とかちょっと不安でしたが、会って話してみると全く年齢の差を感じさせない4人で、話も弾み楽しい時間を過ごせました。
そして別れてからもフェイスブックでメッセージの交換をしたり、スンバでの近況報告を覗いたりしていますが、小文字のぁぃぅぇぉは今のところ出て来ていません。
もしや、違和感ない?笑
今回の渡航はまだ調査の段階で、実際に洞窟に入るのは次回3月の春休みになる予定だそうですが、その際には通訳と移動の車を手配するかもしれないという話になったのですが、あいにく旦那は都合が合わないので、別の方を探してみる予定です。
見えますか?!ふと目を離すとこういう所にいる人…。
アフロを探せ
この日出会えた探検部の4名の方ですが、私が知っている僅かなスンバの情報に関して皆さんメモをとっていましたが、
きちんと勉強している人の姿勢はやっぱり違うんだなぁ〜と実感。
そしてこの時教えてもらった”探検”に関する話が興味深かったのですが、”探検”と”冒険”とは別のもので、それには皆強いこだわりを持っているだそうです。
文字を見ても分かる通り、探検の検は”検査”の検で、色々な調査や目的の為の手段を考えたり、事前予測や装備の点検など、そういう全てをひっくるめての探検なのだそうです。
一方の冒険とは先が見えない事へ足を踏み入れたりする事で、”危険”の険がその違いを現しているのだそうです。
だったら私たち夫婦の人生はおそらく冒険の方ですが、探検部の彼らを見習いそろそろ探検を始めなきゃなぁと思いました。
ウォーリーならぬ…
アフロを探せ(初級)
アフロを探せ(中級)
アフロを探せ(上級)
見えますか?!
ここはスンバでは少し有名な観光地、”ライポプの滝”という場所です。
写真では伝わりにくいですが、大分高い所まで登っています…。
良い子はマネしないで下さい。
今回の記事に関するリンクを色々と張っておきます。
洞窟調査に関する記事も随時アップされていますので、探検好きの方は一緒に応援しましょう。
立命館大学学術部公認探検部
http://www.geocities.jp/ruec1960/
立命館大学学術部公認探検部のブログ
http://ruec1960.blog59.fc2.com/blog-entry-487.html
NTT州スンバ島の謎の大洞窟 Goa Raksasa di Pulau Sumba, NTT
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201310/article_8.html
NTT州スンバ島の謎の大洞窟(2) Gua Raksasa di Pulau Sumba, NTT
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201310/article_23.html
NTT州スンバ島の謎の大洞窟(5)〜(3) 立命館大学探検部が事前調査 Goa Sumtim
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201403/article_7.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201403/article_9.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201404/article_19.html
スンバ情報に関するGBIの全ブログ集
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/b1f71d4ade.html
途上国の子どもたちの教育支援を行うNGO団体 e-Education
http://eedu.jp/
彼女も自分の絵が売れて嬉しかったみたいです。
彼女のパパさんは、クタの小さなお店でエアブラシで絵を描いて生活しています。
因みにパパさん、絵よりもギターが上手い!! ギターも驚くほど上手い!!!
パパさんは”売るための絵”を描いている人なので、自分の好き嫌いに関わらず需要のあるものを描くそうです。
そこにはいろいろな葛藤もあると思います…。
ウェディングの写真やビデオにもそういう所ありますが、
限られた制約の中で表現するのも結構おもしろいです。
将来が楽しみですね。
ところで私のパパさんも絵を描く人ですが、私は血を受け継がなかったみたいです(笑)
絵の話はこの辺で…
最近の私達の事ですが、2014年に入ってから年のせいか、厄年の恩恵を受けてなのか…体調が絶不調の私です。
インドネシア移住を機に、体調不良は私の中で全くもって想定内としていたのですが、それにしても不調が続き心折れそうでした…。
2月の中旬に娘と旦那がスンバ島から帰ってきたのですが、帰ってくるなり娘が”オエッ”と!!
旦那に何事かと聞くと、飛行機に酔ったんじゃ無いかと。
いやいやいや、日本ではリンゴをのどに詰めた時にしか吐いた事の無い娘が吐くなんて、ただ事ではないと思ったのだけれど、娘は吐きながらも走り回り、下しながらも三輪車で暴走(本当に暴走)していたので、様子を見ることにしたんです。
そしたら次の日の朝、突然の吐き気で目を覚ましたのは私の方で、ただ事では無さそうな嘔吐と下痢で病院へ直行する事になってしまいました。
診断の結果は”原因不明”
そして得意のインターネットを活用し、ドクターウィキペディアの出した答えはアデノウイルス感染症というやつでした!!
ですがバリでは検査はしないようで、そもそもそんな定義もあるのかどうなのか…
抗ウイルス薬もも処方される事なく、ウイルスが排出されるのをただ待つしか無いのでした。
娘の嘔吐を処理したときに、おそらく感染してしまったようでした。
一方の娘もウイルスに感染していた筈なのですが、ただ元気に走りまわっていたので、それがせめてもの救いでした。
その上旦那もいつもの事ながら長期の休暇中だったので、私はただ寝ることに専念していました。
そしてアデノとグッバイしたと思いきや、免疫が弱って風邪、に続いて気管支炎。
これもいつものパターンなのですが、なかなかしつこかったです。
ようやく復活したところに、今度は謎の歯痛!!!しかも激痛ときたっ。
虫歯も発見されず、また”原因不明”の診断が下されてしまいました。
噛み合わせの問題じゃないかと、下の歯が痛いのに上の歯を削られましたが、とりあえず様子を見てみようと思います。
そんな感じで体は不調ですが、それ以上にダメージだったのは、パソコンが故障した事です。
オフィスの私の使っているPC故障から始まり、自宅のMac、予備のWin7も不調ですが、全て原因不明です。
バリ島生活では原因不明のウイルスとパソコンの故障に備えて、マスクと常備薬、それに折れない精神力、そして知識(もしくは知識を持った友人)をあらかじめ準備しておきましょう。
備えあれば、憂いなし。
旦那と別々に暮らしている事もあり、お互いスッカリ忘れていました。
ですが2週間後の2月10日にはインドネシア側の結婚記念日もあるので、そっちの方こそ覚えておこうと約束しましたが、
それもまた2週間後には忘れていました。
夫婦とも頭が弱いとこうなります…、せめて自分の年齢くらいは覚えておこうと思う私、今年は本厄らしいです。
厄払いには行けなかったので、仏教徒のおばあちゃんの毎朝のお祈りに託すことにします。
ところで、約1か月間程離れて暮らしていた娘に会う為に、またスンバ島に行って来ました。
前回利用したMerpati航空での度重なるトラブルを踏まえ、今回はインドネシアの最大手、Garuda航空で行って来ました。
今回の滞在期間は一週間、ウェディングの閑散期に少しばかり感謝です。
前回の渡航の時にははなんと、1日目がまさかのフライトキャンセル…、
2日目は3時間のディレイのち離陸直前にプロペラが故障し機体を乗り換えるといった事態が発生し、
帰りの便でも6時間のディレイと続き、その度に航空会社から弁当が配られるといった始末…
空腹を満たされる事で人の不満というのは少しばかり解消されるという事を知っているのでしょうか、
それにフライトキャンセル後の送迎やらホテルの手配に関してだけはありえない程手際が良いMerpati航空、
その要領の良さをもっとほかの部分に生かしてもらいたいものです。
それにしても、この国の人はこんな状況でも怒らないので、その部分にはいつも関心しています。
これが関空だったら、、、おそらくブーイングの嵐が降り注ぐことは間違いないです。
それに、同じ便でフライトキャンセルを食らった人達とは妙な連帯感が生まれ、修学旅行みたいな、それはそれで楽しかったのですが…。
今回はGaruda航空を利用した為、フローレス島での乗り継ぎを含めて通常より1時間長く、スンバ島に到着するまでに2時間半かかってしまいましたが、遅延やらを考えるとガルーダを利用した方が、結果早く到着出来る気がします。
今回は悪天候の割にはさほど揺れせもず、着陸寸前になぜか着陸を断念してもう一度上空へ飛び立った時には若干お祈りモードでしたが、軽食も2度も配られてまさに快適なフライトでした。
ガルーダの場合は空港使用料を払わなくても良いし(通常は確かRp.50.000程)サーフボードチャージもいらないので(他の航空会社だと1本につきRp.200.000位)、サーフトリップには尚更おすすめしたいです。
ですが、今回気になる問題が一つありました。
何と、、乗客数がわずか10人だった事。
スンバ島行きの路線がようやく就航し始めたものの、
このままでは存続するのは難しいのではないでしょうか…
しかもこの日に関しては全ての運行状況をチェック済みで、LionAirは空席わずか、TransNusaは満席だったのにもかかわらず、Garudaのみガラガラだったという事になります。
そして問題のMerpatiに関してはしばらく運休という事でした。
やはりあの時壊れたプロペラのせいでしょうか、なにはともあれ無理して飛んで落ちたりしなくて良かったです。
そしてガラガラの機内で何度もコーヒーを注がれながら、前回のMerpati事件の事を思い出していました!!
あの日……
1日目の朝10時半発の予定が、飛行機の到着が遅れ時刻が12時を回ったところで、ディレイの表示がキャンセルにかわりました。
同時刻に出発予定のLionAirも同じく遅延していましたが、15分程前に出発したところでした。
スタッフの元に駆け寄り、何故飛ばないのかと問いただしたところ
「スンバ島の空港は毎日13時には閉鎖される。だから今から飛んでもスンバ島まで1時間半かかるので、13時には間に合わないでしょっ」て、確かに計算は合っています。
「それが分かっているんだったら、何故たった15分前に飛んだLionに乗せてくれなかったの」と聞くと、それは航空会社が違うのでできないと、、
「チケットを買い直してでも私はその日のうちに飛びたかった」と伝えたが、あとの祭りでした。
そして迎えた次の日の朝、またしても遅延、、
ようやく到着したという飛行機に乗ったものの、滑走路の直線の所まで進み、あとは飛ぶだけだという体制に入ったところで、何故か「飛行機の点検をするので少しお待ち下さい」というアナウンスが流れた。
どうやらプロペラが一つ故障して回らなかったらしい。
それを聞いて、ぞっとした…
その時突然、貫禄満点のおじさんが立ち上がり叫び始めた、「俺は降りる、降ろせ、こんな危ない飛行機にのれるか!!」と 。
その通りだ、私もまだ死にたくなかった。
そしてそれに続き、気の強そうなおばさんも叫び始め、とうとうみんなが立ち上がり、結局全員が飛行機から降ろされた。
結局Merpati航空の別の機体で飛ぶ事になったのだけれど、他に飛行機があるなら最初から出して欲しかった。
その日結局出発したのは1時半を過ぎていたのだが、スンバの空港は1時半に閉まるのでは無かったのか…
また疑問が1つ残ったままになってしまった。
なんだかんだでフライトも終盤に入り、空からスンバ島の海岸線を眺め、異常な位の青さに再び驚いた。
人はいつか死ぬ、それならこんなにも綺麗な場所で死ぬのも悪くないんじゃ無いのか、
つい数時間前に死を意識した事で、そんな事が一瞬頭をよぎった。
私の視線は真っ青な海に奪われていた…その瞬間、機体が大きく1m程沈んだ。
皆が一斉にわぁとかあぁとか声をあげた。
プロペラの故障という事態を目撃した直後で、誰もがこの航空会社に不信感を持っていた所だったと思う。
私は心の中で必死に祈った、「神様、前言撤回致ます、どうかお許し下さい」と。
無宗教ですが、出てきた神様の顔はイエスキリストの肖像画でした。
きっと職業病だと思います…。
そんな訳で、私は二度とMerpati航空乗ることは無いと思いますが、こういう会社もインドネシア人カスタマーの怒らない性格と、インドネシア人スタッフの謝らない性格の元に成り立っているのでしょう。
そしてそんな会社が数多く存在し、そのお陰で比較的”ゆるい”社会生活を送ることが出来、
私自身がそれに快適さを感じているのもまた事実です。
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